日本の安全保障と次代を担う人材の育成
2021.09.02
次に掲げる論文は、私が平成27(2015)年に、日本の歴史認識と安全保障についての勉強会に参加した際に、提出した論文である。

題は「日本の安全保障と次代を担う人材育成~国を護るとは、日本人の気概とは~」。
今とは環境が異なる点もあるが、当時の浅はかな知識で書いた論文である。
ご指摘も含め、色々とご意見をいただきたいと思い、恥を忍んで掲載した。

長文ではあるが、お付き合いいただけたら幸いである。


(以下)

大東亜戦争以降、自由主義諸国と共産主義諸国との冷戦対峙、中近東情勢への関与など、世界秩序は米国を中心に築き上げられてきた。「強いアメリカ」であったからこそ、世界の秩序はある程度護られてきたといっても過言ではない。しかし、平成25年(2013)年9月、オバマ米大統領はシリア問題に関する9月10日のテレビ演説で、「米国は世界の警察官ではないとの考えに同意する」と述べ、米国の歴代政権が担ってきた世界の安全保障に責任を負う役割は担わない考えを明確にした。その後、国際秩序のタガは外れ、ロシアのウクライナ侵攻、中東情勢の不安定化など、国際情勢が大きく変化し、また、中国の海洋進出、北朝鮮のミサイルや核開発の問題など、日本を取り巻く環境は、日に日に激しさを増している。それに輪をかけて、中国、韓国から南京大虐殺、慰安婦問題など歴史戦における「情報戦」は世界において日本は敗北を期し、しかも主戦場は米国、欧州へと変わりつつある。
日本国内においては、9月19日、安全保障関連法案が可決され、これにより、日本の安全保障体制は歴史的な転換点を迎え、日本国周辺の安全保障環境の急変に対応するための防衛力は大幅に強化されていくこととなる。しかし、一方において、反日マスコミによる日本を貶める報道が後を絶たない。また、安保関連法案を「戦争法案」と決めつけ、「徴兵制復活」「戦争に巻き込まれる」と主張する反日政治勢力やメディアの偏った報道に惑わされ、そして、その報道を真に受け、反日勢力が主催するデモに参加する主婦や若者が多く見受けられた。次代を担う若者が事実を直視せず、偏った報道に感化され、それが正しいと思い込む。日本の将来はどうなってしまうのだろうとさえ感じる出来事であった。

今年(2015年)4月に日米ガイドラインが改訂された。そして、安倍晋三首相の4月末訪米に際し、日米首脳会談、公式晩餐会、連邦議会上下両院合同議会での演説に臨み、戦後から脱却する大きな一歩を踏み出した。
日米ガイドライン改訂について、月刊正論平成27(2015)年8月号に「日本よ、軍備大蔵経の決断を~米軍再編の真実」と題して、元陸上自衛隊西部方面総督・用田和仁氏が論文を寄稿しているので、その一部を抜粋する。

「日本の新ガイドラインの中には、日本が『防衛戦略を主体的に実施』し、米軍は『自衛隊の作戦を支援し、補完』するとの文言が繰り返しでてくる。ここに重大な意味がある。日本を日本が主体となって実施することは至極当然だが、この文脈は従来の延長戦での防衛の概念とは異なっている。(中略)結論から言えば、米軍の大変革によって、日本は核を除き、ほとんど自らの力で国土を防衛しなければならない事態に至っている。」

また、W・ブルース・ワインロッド元米国防次官補代理は平成27(2015)年9月19日付産経新聞に安保関連法案が必要かつ適切であると、以下の論文を寄稿している。

安全保障関連法は、日本が多国間安保でより積極的な役割を担うとともに、日米同盟を強固にすることを意味する。日本の安全と、地域の平和と安定を確保できる見通しも高まる。この法律に基づいて日本が国際安保政策を進めることが必要かつ適切とされるのは、以下のような理由からだ。

第1に、地域の安全保障上の脅威が一段と深刻化したためだ。最も直接的な課題は、南シナ海の広大な範囲の管轄権を主張し、国防費を大幅に増やし、軍事力を着実かつ著しく増強させている中国だ。
北朝鮮も大きな脅威だ。北朝鮮は弾道ミサイルと核兵器を保有し、孤立し不安定な好戦的指導体制によって統治されている。

第2は、テロに関連する脅威の存在だ。イランのような過激国家や、非国家的主体は、穏健な政府を弱体化させ、過激主義的で反民主的な思想を拡散させるためにテロを用いている。中東の不安定化は、エネルギー供給をめぐる日本の安保上の核心的な利益にも悪影響を及ぼしかねない。

第3に、新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)は、近年の日本の安保政策と合致しており、何らの飛躍的な変化を示すものではない。日本はこれまで、協調的な安全保障活動を地域だけでなく地球規模で進めてきた。新ガイドラインは、現行の取り組みが合理的かつ妥当に進化したに過ぎない。

第4に、新たな法律により、日本の安保政策は引き続き多国間主義的で防衛的な性格を保ち続けるのは明白だ。日本は他の民主国家との地域的かつ世界的な安全保障関係の中で、国際安全保障に関する日本の多国間主義的な取り組みを強化してきた。

第5に、日本の民主的な政治制度は、日本の安全保障上の役割増大を容認されやすくしている。日本は今や成熟した民主国家で、その影響力と資源を駆使して、各地で民主的な制度と慣行の発展を促している。

第6に、日本が米国の共同防衛への取り組みを支える責任と意志を強めたことは、日本を軍事攻撃から守ると誓約している米国から大いに歓迎されている。

最後に、日本が同盟国との協調の下、防衛的な安全保障上の役割を積極的に果たそうとするほど地域の平和と安定がもたらされ、日本の安全を確保できる公算が大きくなる。歴史が示すところでは、民主国家間の強固な同盟関係は潜在的な侵略国を抑止し、紛争が起きる可能性を減らす。

安保関連法によって、日本はミサイル防衛協力を含む、さまざまな種類の防衛的な国際安保協力を米国と実施することができるようになる。日本はまた、民主国家による地球規模の安保ネットワークへと進化しようとしている北大西洋条約機構(NATO)との関係をさらに強化できる。豪州やインド、フィリピン、韓国といった他のアジアの民主諸国とも安保関連の活動を強化できる。

集団的自衛権は、国連憲章51条で正当な権利と認められている。ただ、日本が集団的自衛権を認めることは、米国では懸念よりも歓迎をもって受け止められるはずだ。日本は民主国家を主導する立場にあり、国際安全保障上、一貫して責任感を持ち防衛的な振る舞いを示してきたからだ。
安倍晋三首相は、自身が述べた通り、「国際協調主義に基づく積極平和主義」をもたらすため、自国と同盟国を守る能力の強化に果断に取り組んできた。安倍首相の姿勢は、アジア太平洋地域の安定を過去数十年にわたって決定づけてきた日米同盟の強化につながる。安倍首相は、かつてのレーガン大統領のように、変革をもたらす先見の明を備えた指導者といってよいだろう。

日本の安全保障政策は新たな一歩を踏み出すこととなった。しかし、今回のこの安保関連法案に対するデモなどの騒動を見て、国を護ることに関して国民は如何に他人事のように考えている人が多いか。また、「平和主義=非武装」と考える国家は他の国を見ても日本以外、ない。

しかし、いくら集団的自衛権が行使できるとはいえ、今の憲法解釈には無理があり、諸外国の脅威に対抗できる、現実に即した憲法改正は必要不可欠である。そもそも、日本国憲法はGHQの押しつけ憲法であり、自虐史観、社会主義思想が蔓延した憲法である。吉田茂は1953年の暮れ、党内に出来た憲法調査会の会長に岸信介を起用し、このとき、岸は吉田から朝鮮戦争が勃発した際に、マッカーサー司令官に超法規的権限で憲法を改正すべきとのことを打診していたと聞かされている。「マッカーサーも、改正すべきだといっていた」と、司令官も同意したと吉田が述べていたという(岸信介証言録)。しかし、岸信介は総理大臣就任後、安保改定のあとに憲法改正に意欲を燃やしていたが、ついには達しえなかった。岸信介の志を継ぐ安倍晋三政権下において実現が無ければ、憲法改正は遠い。現在、日本会議を始め、憲法改正に向けた民間レベルでの動きが活発化されている。
憲法改正へ向けて、前文と9条修正は不可欠であるのはもちろんのこと、私は以下の事柄について、明確な規定を記すべきだと考える。

天皇は元首である=「我が国の安泰と国民の平安を祈り続けてきた永続的な存在」
国防の定義が必要=「国の独立と安全を守り、国民を保護するとともに、国際平和に寄与するため、軍を保持する必要がある」
自衛隊既定の必要性―自衛隊は国軍である
緊急事態規定―外部からの武力攻撃、内乱、大規模テロ、大規模自然災害、重大なサイバー攻撃など

法整備、いわゆるハード部分が確立しても、日本国民に「国を護る」という意識が欠落し、他人事で考えているようでは本当の意味での「日本を護る」ことにはならない。そのためには、毒された戦後教育にメスを入れ、崩壊した日本人の精神、道徳を修復し、日本人として祖国を護る気概を持つことが必要かと考える。

日本は紀元前660年より天皇を中心とした国体、脈々と受け継がれてきた日本人の精神、伝統、文化など時代の変遷とともに、変化に応じて対応し、護持し続けてきた。そして、明治維新後、日本は開国し、植民地化をもくろむ世界列強各国に真っ向立ち向かった明治の志士たちは、この日本の国体を護るため、日清、日露、第一次世界大戦、そして大東亜戦争を戦い抜いてきたのである。しかし、戦後、GHQによる日本洗脳工作「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」、いわゆる「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」が日本人の気概を消失させ、精神も崩壊しているのが今日の状態である。その毒は、今でも効き目を発揮し、ますます毒性が強まっている、現在進行中の話で、政、財、官、司法、教育その他言論界の多くの日本人の思考を今も縛りつけている。そして、その宣伝計画は、今も形を変えて生き続けている。
文芸評論家の江藤淳は著書『閉された言語空間』の中で次のように書いている。

「いったんこの(GHQの)検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、(中略)日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、また同時にいつ何時でも国際的検閲の脅威に曝され得る」。我々は日本人の精神を空洞化したWGIPの呪縛から解き放たれなければならない。

平成27(2015)年8月14日、安倍晋三首相は戦後70年の談話を発表した。その中でも、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければならない。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」(安倍談話引用)の部分は同感である。同じ過ちを犯してはならないことは当然であるし、誰もが好き好んで戦争をしたわけではない。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、大東亜戦争を戦い、戦陣に散った方々の心は幾ばくであろうか。

昭和26(1951)年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、ダグラス・マッカーサーは「彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです」。いわゆる、日本の戦争は自尊自衛の戦争であったと証言している。しかし、戦後教育では「あの戦争」は悪であると教えられ、先人の思いに接することが遠くなっていた。
現実や事実を直視せず、デモへと向かう若者たちを教育する制度は一体どうなっているのか。歴史教科書問題、教師の質の低下、また、共働きが増え、母子家庭が増えた中での家庭教育等、問題は積算しており、今一度、日本人を形成する教育問題を考え直す必要がある。そして、私たちは戦前の教育で、良いところを改めて見出し、そして、日本人の気概、祖国を護るという精神を確立しなければ、いくら法が整備されても、本当の意味での日本を護るということはできないと考える。そのために、以下の考え方を日本人の根源におくべきであると考える。

①「武士道」精神
1.「武士道の渕源」より~「武士道は『論語読みの論語知らず』的種類の知識を軽んじ、知識それ自体を求むべきで無く叡知獲得の手段として求むべきとし実践窮行、知行合一を重視した」
2.「義」より~「義は武士の掟の中で最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振舞程忌むべきものはない」
3.「勇、敢爲(かんい)堅忍(けんにん)の精神」より~「勇気は義の為に行われるのでなければ、徳の中に数えられるに殆ど値しない。孔子曰く『義を見てなさざるは勇なきなり』と」
4.「仁、即惻隠(そくいん)の心」より~「弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に適しき徳として賞賛せられた」
5.「礼」より~「作法の慇懃(いんぎん)鄭重(ていちょう)は、日本人の著しき特性にして、他人の感情に対する同情的思い遣(や)りの外に表れた者である。それは又、正当なる事物に対する正当なる尊敬を、従って、社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する」
6.「誠」より~「信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。…『武士の一言』と言えば、その言の真実性に対する十分なる保障であった。『武士に二言はなし』二言、即ち二枚舌をば、死によって償いたる多くの物語が伝わっている」
7.「名誉」より~「名誉の感覚は、人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。… 廉恥(れんち)心(心が清らかで、恥を知る心が強いこと)は、少年の教育において、養成せられるべき最初の徳の一つであった。『笑われるぞ』『体面を汚すぞ』『恥づかしくないのか』等は非を犯せる少年に対して正しき行動を促す為の最後の訴えであった」
8.「忠義」より~「シナでは、儒教が親に対する服従を以って、人間第一の義務となしたのに対し日本では、忠が第一に置かれた」
9.「武士の教育及び訓練」より~「武士の教育に於いて守るべき第一の点は、品性を建つるにあり。思慮、知識、弁論等、知的才能は重んぜられなかった。武士道の骨組みを支えた鼎足は、知・仁・勇であると称せられた」
10.「克己」より~「克己の理想とする処は、心を平らかならしむるにあり」

②教育勅語
1.親に孝養をつくしましょう(孝行)
2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
5.自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9.人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)

「人を平気で貶める」「殺生の意義がわからない」「親をないがしろにする」「人間関係が図れない」「自分勝手」「相手を思いやる気持ちがない」「モンスターペアレンツ」などなど・・・。戦後、日本は豊かになった。しかし、大切な何かが忘れ去られているように感じる。今の日本人に足りない、そして、戦後教育で忘れ去られたものが、この「武士道」「教育勅語」にある。先人たちの古きよき教えを学び直し、後世に伝え続ける。そして、日本人の心を取り戻し、気概が生まれ、精神が確立されてこそ、日本を護ることができると考える。

最後に平成27(2015)年4月に発行した別冊正論21号「沈黙は金ならず!反撃する日本」で上島嘉郎別冊正論編集長(当時)が記した文言を持って結びの言葉としたい。

「後世の日本人を信じて命を捧げてくれた人たち、その献身が今の日本をつくっている。日本は現在生きている私たちだけのものではない。過去と未来の日本人のものでもある。現在の私たちの過怠や不作為によって、先祖の名誉を不当に損なわれたままでよいか。子孫に要らざる負い目を負わせてもよいか。
故江藤淳氏の次の言葉を、日本人として噛み締めたい。
『死者の魂と生者の魂との行き交わいがあって、初めて日本という国土、文化、伝統が成立している。それこそ日本のConstitutionである。つまり、死者のことを考えなくなってしまえば、日本の文化は滅びてしまう』、『ソポクレース以来、自国の戦死者を、威儀を正して最高の儀礼を以て追悼することを禁じられた国民が、この地上のどこにあっただろうか。国人よ、誰に謝罪するより前にこのことを嘆け。そして、決するな』
 昨年(2013年)12月の安倍晋三総理の靖国参拝以後、日本は世界中から非難されているかのように見える。同盟国アメリカですら『失望』を表明したのではないかと、日頃の反米姿勢はどこへやらの新聞もある。
 だが、日本国民は動揺してはならない。日本を封じ込めようとする動きの背後を見極め、同時に根拠なき非難には毅然と反論する。いま求められているのは、賢明で、『強い国民』になることだ。やがては散る桜として、そのつとめを果たそうと考える日本人に向けて本書を編んだ。」

「強い日本人」になるべく、そして、「日本国を護る」べく、ハード面の法整備とソフト面の日本人としての気概、精神を確立し、安全保障環境の強化と人材の育成に費やすことが大切である。

菅首相が突然の辞任を表明した。ワクチン対策や、特に安全保障対応には格別の成果をもたらした。心からお疲れ様と申し上げたい。しかし、我が国を取り巻く安全保障環境は、明治以来の危機であると私は思っている。アフガニスタン情勢における米国の態度は、日本にとってみると「明日は我が身」。自国の安全は自国で確率するしかない。中国の台湾、尖閣奪取は北京五輪後であるとの予測もある。よって、次回の衆議院選挙で、国家観が欠如している立憲民主党が政権を取るという悪夢は絶対に避けるべきであると私は強く申し上げる。
2021.09.02 19:16 | 固定リンク | その他
先人の思いを継ぐために
2021.08.26
去る8月21日(土)、第6回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを、新型コロナウイルス感染対策を講じた中で、有志スタッフを含め、約40名の方々にお越しいただきました。コロナ禍のため、当日キャンセルの方もいらっしゃいましたが、それでも、ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

いつも感じることではありますが、昇殿参拝に赴く本殿への廊下を歩くと心地よい爽やかな風が吹きます。まるで参拝を歓迎しているかの如く。そして、来場者の皆様と一緒に、英霊に感謝の誠を捧げさせていただきました。

昇殿参拝後は、靖國神社禰宜・松本総務部長より「英霊と沖縄戦」との演題で、実際に沖縄へ行かれた際の戦争体験者のお話を含め、約1時間ご講演いただきました。そこには、テレビなどでは放送されていない、歴史の真実がありました。貴重なお話を聞くことができて、本当に有り難い。松本部長、ありがとうございます。

その講演の中で、昭和53年7月に発行された機関紙「やすくに」の内容に触れておりました。「日吉神社宮司・前靖國神社総務部長の『坂本定夫氏』」(当時)の「靖國神社と『みたままつり』」のタイトルで書かれていた文章です。その中で、柳田国男氏の言葉を引用しています。柳田氏は大戦中からすでに戦の行く末を案じ、日本人の伝統的な霊魂観、生死観について著述を進めておられ、やがて先祖の話という署名で世に出ることとなりました。
とても大切な内容でしたので、ここでご紹介させていただきます。

「この戦で多くの若者等が死んで行ったが、此等の人々の大部分は未だ結婚せず自分の家も持たず、従って直系の子孫を持たぬままに此の世を去ったものが大部分である。代があらたまれば此等の国の為に倒れた若者等は傍系の先祖となり、その祭りはやがて忘れ去られて行く事にならふ。祀られぬ人々の魂をそのままにして置いて日本に真の平和は訪れぬだらふ。戦歿者の慰霊の祭りは盛に行われなくてはならない」

今年のみたままつりはコロナ禍のため、催しも露店も出さずに執り行われましたが、どのような形でも、家族も持たず、若くして独身で亡くなった英霊に対する慰霊を行うのは靖國神社しかないのです。

今年も8月15日に安倍晋三前首相をはじめ、小泉進次郎環境相と萩生田光一文部科学相、井上信治科学技術担当相が靖國神社を参拝しました。菅内閣の閣僚では13日に西村康稔経済再生相と岸信夫防衛相が参拝しています。菅首相は靖國神社に玉串料を納めましたが、マスコミはこぞって、「現首相は参拝しなかった」「誰が参拝した」「大臣は参拝したのか」「公人か私人か」「中韓が遺憾だと言っている」と報道しました。
いつも思いますが、参拝した大臣ではなく、参拝しなかった大臣を報道して欲しい。そして、「何で参拝しないのか」と問うて、報道して欲しい。今の日本が平和であるのは、先の大戦で戦ってくれた先人のお陰様。その英霊に感謝の誠を捧げるのに、どうして他国に配慮しなくてはいけないのか。私はいつもこの時期、このモヤモヤが晴れずに過ごしています。

今年の私のイベント来場者の約半分は20代、30代の若い世代でした。当日、お越しいただきました皆様より、感想をいただきました。次代を担う青年たちからの感想も含まれていますので、一部紹介させていただきます。

・本日はたくさんの学びをありがとうございました。松本部長の講演では、初めて知ることも多く、自分の勉強不足を感じると共に、学べる楽しさを感じました。小学生たちに沖縄戦についての史実をしっかり伝えていきたいです。また、初めて柳原タケさんの恋文を聞き、涙が止まりませんでした。私も子を育てる大人として、我が子だけでなく、その次の世代、そして未来の日本を想いながら日々を過ごしていきたいです。
日々の仕事に一喜一憂してしまうことも多々ありますが、玉川未来塾のように、歴史を学び未来を考える時間があるととてもワクワクします。
この先何年もかかると思いますが、「学校教育では学べない」ではなく、「学校教育でも学べるようになった日本の史実」になるように私にできることを探して、実践していきたいです。本日は貴重なお時間をありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

・松本聖吾氏の話は興味深かった。国と家族を護るために、ひとりひとりが命を捧げていた、護ってくれました。今、私が、私たちがこのように平和を享受していることは当たり前ではありません。そのことに、今一度、思いめぐらしました。感謝をさらに、そして、これからも私はずっとずっとこの国と、全ての方に感謝したい。

・イベントに参加させていただき、ありがとうございました。
一番心に残ったのは、「戦没者は傍系の先祖にあたるから、いずれまつられなくなってしまう。だから靖國神社でまつる。」ということです。遊就館にある遺書や遺品を見て、ご家族の方はこれを手元に残しておきたい気持ちもあったのではないかと思っていましたが、それでも靖國神社に託す理由が分かりました。そして改めて、国を守ってくれた英霊を、国民みんなでおまつりする大切さを感じました。またひめゆり学徒挺身隊の方のお話を映像で聞かせていただき、当事者の言葉で経験と思いを知ることができたのが、私にとってとても貴重な機会でした。
遊就館を回りながら、いつか自分の子どもができたときに、戦争のことや英霊のことをどう伝えられるだろうかと、考える機会にもなりました。
日々感謝の気持ちを持つとともに、今後も学んでいきたいと思います。ありがとうございました。

・沖縄戦は県内の中央付近のみで行われた事を初めて知りました。どうしても辛い内容のため敬遠しがちなのですが、今後、自分が親となった時に子供にどう教えていくのが良いのかを決められるよう、色々な角度から知識を蓄えていきたいと思いました。
今年初の靖國神社でしたが、やはり年に一度は英霊にお会いしなければと思いました。

・今回は開催ありがとうございました。松本さんの話や、映像を通して知られていない事がたくさんある事をしりました。語り継ぐ方々で「生き残ってしまった事が申し訳ない、語りたくない」と思う苦悩もわかる気がします。ですが、語る決意をしてくださった事に本当に感謝です。戦争の真実を知ってどう思うのかは人それぞれだと思いますが、正しい真実を知る事や戦死した方々への感謝が出来るような人であり続けたいと思いました。

・松本部長から改めて、生の講演を聞けたのは、非常に貴重な機会でした。また、靖國が直面している一番の問題を、なんとかできないか、考えていきたいと思います。

この感想をご覧いただきました読者の皆様はどう思われますか。

この原稿を書いている8月24日は、7年前、私が退職する前に所属していた産経新聞社正論調査室が主催する第2回「大東亜戦争を語り継ぐ会」を靖國神社で開催し、本土防空戦に参加した、元帝国陸軍大尉で元空将の竹田五郎さんをお招きして、お話をいただきました。
当時、遊就館展示課長でした松本現総務部長が以下のような内容をFacebookで発信しておられましたので、一部引用させていただきます。

「今日は、終日、『正論』が主催する戦友さんをお招きする講演会、(中略)講師の竹田五郎先生、御年93歳、益々お元気でいらっしゃいました。ご本人は『ボケてきたので上手く話せない』と仰っていましたが、いやいや、とんでもございません。大陸の航空戦から本土防空戦、2時間足らずであれほど臨場感あふれるお話しは、なかなか聴けません。聞き手の井上和彦先生のスライドを駆使した絶妙なリード、解説で、本当に当時の航空戦の状況や隊員の想いが伝わり、会場、超満員の聴衆を釘付けにされておりました。
昨今の靖國神社を取り巻く状況を嘆かれ、『(高齢で)この講演をお受けするのは迷ったが、我々が靖國神社にお参りするのは当たり前のこと。そのために英霊の功績を伝えたい』と、冒頭と最後に強調された竹田先生の想いは、ご奉仕させていただいている者として、本当に有難く拝聴いたしました。
この講演会は、今年の初めころ、私のFBFでもある正論調査室の玉川さんからお話を頂戴し、『正論』が主催される講演会で170名分しか収容能力の無い遊就館のホールでは申し訳ないと思いましたが、『昇殿参拝と遊就館の拝観』がもう一つの目的であるという有難いお言葉をいただき、且つ、戦友さんたちのお話しを遊就館でお聴きできるラストチャンスかも知れないと存じお受けしたものです。『正論』では、集合時間(12:30)前の遊就館拝観をお薦めいただき、今日も多くの方々が午前中に遊就館を拝観の後、講演会に参加されておりました。(中略)お忙しい中、ようこそ、ご参加、ご拝観くださいました。ご参加の皆様、有難うございました。英霊もさぞかしお喜びのことと存じます。」

その竹田五郎さんも昨年の2月にお亡くなりになられました。また、「大東亜戦争を語り継ぐ会」でご登壇いただいた、元帝国海軍少佐で戦艦「大和」副砲長の深井俊之助さん、元海軍のエースパイロット笠井智一さん、ペリリュー島での激戦から生還した元海軍2等兵曹の土田喜代一さん、元海軍中尉の加藤曻さん、元陸軍大尉の常盤盛晴さんなど、元軍人の方々がこの数年で次々にお亡くなりになられ、本当に寂しいとともに、当時を語れる軍人さんたちがいなくなる現実をまざまざと目の当たりにしております。

先日の私のイベントで講演していただきました松本部長が、講演の中で、沖縄で取材したひめゆりの戦争体験者の映像を流し、歴史の真実を語ってくださいました。実際に生の声を聞くことが難しくなっている現状において、残っている映像があれば、活用すべきだと思っています。「チャンネル桜」さんで残っている映像がYouTubeでも一部観ることができます。もし、私がその映像を借用することができるのならば、今後、私が主催するイベントにも活用させていただき、微力ながら英霊の思いを継ぐ一助になれればと思っています。戦争の記憶は風化させてはならない。そう思う次第です。

次回のイベントは11月7日(日)。同じく靖國神社で執り行います。内容は映画「さつまおごじょ」上映&トークライブです。登壇者に、この映画「さつまおごじょ」の監督である柿崎ゆうじさん、ファシリテーターにはジャーナリストで俳優の葛城奈海さんをお招きし「特攻隊が遺したもの」と題して、トークライブを執り行います。
先人の思いを継ぐべく、次回もイベントを企画し執り行います。時期が来ましたら、またご案内をいたします。
どうぞ楽しみにしてください。そして、お越しいただき、思いを共有できましたら幸いです。
2021.08.26 06:43 | 固定リンク | イベント
戦後76年目にして思う
2021.08.03
早いものでもう8月。1年の2/3を迎えた。

連日、東京五輪の日本人選手の活躍に、興奮の毎日という読者も少なくないだろう。そして、それとは関係なく、今年も日本にとっての「敗戦の日」を迎える。

8月15日を「終戦記念日」とマスコミはこぞって報道するが、私は「敗戦の日」と言っている。日本にとって大東亜戦争に負けた屈辱の日であって、「記念日」と呼ぶのは遺憾であるためだ。

この時期になると、マスコミはこぞって靖國神社への公式参拝問題を取り上げる。「公人としてですか?私人としてですか?」と閣僚他国会議員が参拝するとそう質問し、そして左翼勢力は中韓両国の反発を取り上げ糾弾する。それこそ、宗教を否定し、信仰を禁じている中国共産党とは、まして神道について話し合う性質のものではなく、国の主権と誇りを堅持して毅然として対応すべきものであるにも関わらず、政府は「遺憾砲」を唱えるだけ。毎年のことであるため、うんざりする。

靖國神社参拝問題を論じるに、よく、戦争戦犯である「いわゆるA級戦犯」が祀られているから問題だという者がいるが、「いわゆるA級戦犯」は東京裁判史観に基づく名称であって、国際法上、問題視される大東亜戦争戦勝国が付けた呼称である。「東京裁判史観」に毒された左翼勢力の言い分であって、「A級」とか「B・C級」とか関係ない。歴史は今の価値観で物事を見るのではなく、その当時の目線に落とし込んで見なければ、正しい解釈などできるはずもない。問題ある東京裁判史観による戦勝国の価値観で歴史を見るものでもない。

靖國神社は東京招魂社の名称で、明治天皇のご発意により明治2年(1869)年6月29日に創建された。明治12年に現在の名称となった。幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余柱の霊が祀られており、うち、213万人が大東亜戦争の死者の霊だ。明治天皇は明治7年1月27日、初めて東京招魂社へ行幸され、「我国の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉垣」という御製を詠まれている。国のために尽くした人々の御霊は、国が末永くお祀りすべきであるというのが明治天皇のご意向であったかと思う。しかし、この思いとは裏腹に、8月15日になると、マスコミは「国会議員が靖國神社を参拝しました」と穿った報道を行う。今日の平和があるのは、先の大戦で戦ってくれた先人のおかげであるのに。その先人を敬い、参拝することが、どうしていけないことなのか。不思議でならない。そして、筆者はこれらの報道を毎年、「アホか」と思ってみている。

歴代首相のほとんどが8月15日に、靖國神社に参拝してきたが、昭和60(1985)年8月15日の中曽根康弘首相参拝以降、「敗戦の日」の参拝は途絶えたままである。櫻井よしこ氏は、『異形の大国 中国』で、以下の通り記している。

「ここで想い出すのは中曽根康弘氏だ。氏は首相在任時の85年、靖國神社公式参拝を中国に非難され、翌年から参拝を止めた。氏はその理由を、胡耀邦党総書記の失脚を避けるためと説明した。良好な日中関係を築こうとした胡総書記の足を引っ張らないために、胡批判の材料とされかねない日本国首相の靖国神社参拝は中止するのがよいと、中曽根氏は決断したというのだ。だが、権力争いにおいて政敵を葬り去る口実など、山程作り出せるものだ。中曽根氏の配慮などなんの役にも立たず、胡総書記は失脚、そして中国は今日に至るまで靖国カードを握るに至った。中曽根氏は明らかに判断を間違えたのである。そして今もその間違いの延長線上に立ち、靖國に代わる施設を建立せよと説く。政治家が自国の国益を二の次にして他国の国内政治の片方の勢力に力を貸した結果がこれである」と。

中曽根首相は悪しき前例を作り出した張本人であるといっても過言でない。この行為が、中韓両国の日本批判を助長させた引き金であった。

私自身、毎年8月に「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを個人で開催している。もし、自分の先祖が過去の戦争で亡くなっていたならば、今ここに自分は存在していない。今ここに存在しているのは、自分の先祖の代わりに命を捧げて戦ってくれた先人のお陰様である。自分の祖父も大東亜戦争で満州の最前線で戦った一人である。祖父が生き長らえたからこそ今、自分は存在する。自分の先祖を供養することはもちろんだが、それ以上に先人に感謝することはとても大切なことであると考えている。先祖のお陰様で「日本人としての私が存在し、日本という国がある」のと思うからだ。これらを実感し、歴史は先祖がつくった日本という国の「国づくり」の歩みであり、私達は先人の尊い、膨大な数の「命のバトン」を受け継いで、今ここに生きていることを認識すべきだと考える。

そのような思いから、本イベントを平成28年から実施している。国のために尊い命をささげた先祖を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をして、そして遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学ぶことを目的に今年も8月21日(土)に実施する。そして、靖國神社職員による「英霊と沖縄戦」と題した講演をしていただくこととしている。プロパガンダに毒された沖縄の歴史ではなく、また違った角度で語る歴史の真実を聞くことができる。

今日の平和があるのは先の大戦で戦ったくれた英霊のお陰様。その英霊に感謝の気持ちを述べない国会議員に疑問を感じるのは私だけであろうか。

ここで、以下を紹介したい。

謹啓
初春の候と相成り、その後、御両親様には、お変りなくお暮しのことと思います。
お父さん、お母さん、喜んで下さい。
祖国日本興亡のとき、茂も待望の大命を拝しました。
心身ともに健康で、任務につく日を楽しみに、日本男児と、大橋家に、父と母の子供と生まれた喜びを胸に抱いて、後に続く生き残った青年が、戦争のない平和で、豊かな、世界から尊敬される、立派な、文化国家を再建してくれる事を信じて、茂は、たくましく死んで行きます。
男に生まれた以上は、立派な死に場所を得て大空の御盾となり、好きな飛行機を、我が墓標と散る覚悟であります。
親より先に死んで、親孝行出来ない事をお許し下さい。
お父さん、お母さん、長生きして下さい。
お世話になった皆様方に、宜しくお伝え下さい。
この便りが最後になります。

昭和二十年三月二十四日 遠き台湾の特攻基地より   茂

父上様 母上様

身はたとえ 南の空で果つるとも  とどめおかまし 神鷲の道

大命を拝して十八歳  茂

これは、18歳で台湾から特攻で出撃していった大橋茂命がご遺書としてご両親に宛てた手紙である。

「後に続く生き残った青年が、戦争のない平和で、豊かな、世界から尊敬される、立派な、文化国家を再建してくれる事を信じて」 飛び立っていった…。日本の弥栄のため、後世に生きる私たちのために出撃していってくれたのである。

拉致被害者も救出できず、中韓両国の顔色を窺い、中国の人権問題であるにも関わらず、その非難決議も出せない国会議員、靖國神社に胸を張って参拝できない我が国首相、そして、平気で我が子を、我が親を殺める若者など、今の世の中、この英霊に胸を張ってこたえられるものがはたしているのだろうか。私は次のようにこたえてしまう。
「こんな日本になってごめんなさい」。

最後に。

日本一心のこもった恋文 「天国のあなたへ」

天国のあなたへ 秋田県 柳原タケ
 
娘を背に日の丸の小旗を振ってあなたを見送ってからもう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのはほんのつかの間でした。
三十二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは今どうしていますか。

私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
あなたは三十二歳の青年、私は傘寿を迎えている年です。
おそばに行った時おまえはどこの人だなんて言わないでね。
よく来たと言ってあの頃のように寄り添って座らせてくださいね。

お逢いしたら娘夫婦のこと孫のことまたすぎし日のあれこれを話し思いきり甘えてみたい。
あなたは優しくそうかそうかとうなずきながら慰め、よくがんばったとほめてくださいね。
そしてそちらの「きみまち坂」につれていってもらいたい。
  春のあでやかな桜花、
  夏なまめかしい新緑、
  秋ようえんなもみじ、
  冬清らかな雪模様など、
四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
 
私はお別れしてからずっとあなたを思いつづけ愛情を支えにして生きてまいりました。
もう一度あなたの腕に抱かれてねむりたいものです。
力いっぱい抱き締めて絶対はなさないで下さいね。

秋田県二ツ井町が主催した1995年2月14日バレンタインデー「第1回日本一心のこもった恋文」大賞に輝いた柳原タケさんが書いたものである。柳原さんは当時80才で秋田市に住んでおられた。この文は靖国神社の遊就館のビデオにも紹介されており、元雑誌「正論」編集長の大島信三氏のブログにもこの文と出合った時の感動が述べられている。

戦死した夫は三十二歳のままで柳原タケさんの心の中に生き続けています。
傘寿(さんじゅ)とありますから、この天国への書簡はタケさんが八十歳のときに書いたものであることがわかります。おそらくタケさん自身もずっと新婚当時の気持ちのままで夫と対話してきたのでしょう。
それにしても、なんとも瑞々しい文章です。愛情の継続性に驚嘆します。
同時に、つかの間の新婚生活しか過ごせなかった時代に巡り合わせてしまった不遇にことばもありません。
この一文をメモ帳に書き留めていましたら、三人連れの中年女性が立ち止まりました。彼女たちは読み終えたあと、嗚咽しながらその場を離れていきました。

「正論」編集長 大島信三
「正論」平成15年8月号 編集長メッセージより

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言発令の中で迎える8月。今年もいつもと違う夏を迎える。私は、「命のバトン」を受け継ぐべく、心静かに靖國神社を参拝するため、8月15日を外して参拝する。本殿で昇殿参拝をし、英霊の思いや功績に深く感謝し、「ありがとうございました」と感謝の気持ちを述べたい。毎年のことであるが、本殿で昇殿参拝をすると爽やかな風が吹く。まるで、歓迎してくださるように。心より感謝、である。
2021.08.03 07:47 | 固定リンク | その他

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