既存メディアの衰退
2024.11.26
去る兵庫県知事選は、9月19日斎藤元彦前知事のパワハラ・おねだり疑惑により兵庫県議会が全会一致で不信任決議し、その結果30日に失職したことによる出直し選挙であった。その当時の既存メディアの報道は、パワハラ・おねだり一色で、斎藤前知事には弁解の余地はなかったように見えたし、出直し選挙に斎藤前知事が出るのを批判する人もいた。また、対立候補であるはずの政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、マスコミと県政の反斎藤派がデマを拡散したなどとして斎藤氏を「援護射撃」。街頭演説で斎藤氏を持ち上げ、SNSでも拡散された。
その結果、11月17日投開票では、無所属前職の斎藤氏が111万3911票を獲得し県知事に返り咲いた。選挙結果を正面から受け止めた兵庫県明石市の前市長、泉房穂氏は、斎藤氏に対して厳しい姿勢を示したこともあるが、「一面的な見方で、この間、対応してきたことにつき、反省するところも多く、お詫び申し上げたい」と陳謝。自身も市幹部への暴言をめぐって辞職し出直し市長選に臨んだこともあり、「民意は斎藤氏に共感し、斎藤氏を選んだ」として、「民主主義の社会である以上、選挙の結果は最大限に尊重されるべき」と重ねている。
既存メディアの報道に疑問視をした有権者が、「既存メディアの報道と違う」立花氏をはじめとした斎藤氏擁護の拡散されたSNSを情報源としたことにより、「既存メディアの敗北」とした報道もあった。さらに、日テレのミヤネ屋では、MCの宮根誠司氏は「我々テレビメディアにも厳しい意見をいただいたんですけど。テレビって選挙戦が始まると公平性が担保されて、今度は事実確認、ファクトチェック、裏取りというのがあって。それが事実かどうかっていうのを確認しないと、放送しないでおこうっていうことになります。踏み込んだプライバシーみたいなのもいかない。候補者がたくさん出られると時間が限られてくる。というところでネットと比べるのがいいのか悪いのか分からないけど、ある意味抑制的に視聴者の方はご覧になってるのかもしれませんね」と投げかけた。読売テレビ特別解説委員の高岡達之氏は「SNSの戦略で斎藤さんが頂点を極めたという言い方には違和感があります」とした上で「テレビは何十年の歴史があって、法律で我々が好き勝手にできないように縛られている。公職選挙法での放送、自主規制もあります。選挙が始まったら一番選挙で判断をしたい方が欲しい情報を我々は公平性という名で、あるいは中立という名で、沈黙をします。これは認めざるを得ない」と語った。さらに「そうなった時に、今の方々は大事な1票だから。繰り返し映像が見たい、よその会社はどう言ってるんだと。よそのメディアはどうなってるんだと。その役目をYouTubeが果たし、ネットニュースが果たし、SNSが果たしているということ。だからテレビが何かを隠しているんだろうって思われる方の自由だし。そしてSNSが自分たちの意見を代弁してくれるって思うのも、当然の反応だろうと思います」と続けた上で「これが今の時代の我々テレビの立っている現実です」と語った。

これからはマスコミの端くれにいた者としての私の私見ではあるが、考えを述べたい。
「既存メディアを信用しない」という現象は、今に始まったことではないと思っている。

遡ること、10年前の平成26(2014)年、朝日新聞社が9月11日、記者会見を開き、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)に関する記事を誤りと認め取り消し、木村伊量社長は謝罪をした。また、慰安婦報道についても、8月5日、6日の2日間、自社の慰安婦報道を検証する大特集を行った。30年前から積み重ねてきた吉田清治証言の記事を取り消し、読者向けに「『読者のみなさまへ』吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。最終等を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました」と記している。

この問題を皮切りに、メディアに対する不信感は徐々に広がり、そして、ジャニー喜多川氏の性加害問題に対する各社の報道で既存メディアの報道姿勢、取り扱いに対し、メディアに対する国民の疑義に拍車がかかったかと考える。
2022年に東谷義和がネット配信で問題提起したことにより本格的に表面化したが、その配信後、BBCの報道を皮切りに多くの報道機関が大々的に報道するようになった。旧ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題は、60年前から疑惑が指摘され、これまで2度、裁判が行われてきたにも関わらず、BBCで取り上げられた後、世間に幅広くこの問題が明るみになるまでは、メディアはその報道をせず沈黙を守り通してきた。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。そして、メディアの報道に対する責任については、無視できない事実であろうとも考える。当時、日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強かった。その後、各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえなかった。

さらに、今回、共同通信社による生稲晃子参院議員(現外務政務官)の靖國神社参拝報道は、既存メディア不信を加速化した。
共同通信は「2022年8月15日の終戦の日の靖国神社参拝に関する記事で、自民党の生稲晃子参院議員(現外務政務官)が参拝した報じたが、正しくは生稲氏は参拝しておらず、誤った報道でした」と謝罪した。そして、「生稲氏が今月24日、日本政府代表として出席した世界文化遺産「佐渡島の金山」の労働者追悼式に韓国政府関係者が参加を見送ったことに関連した複数の記事でも、生稲氏が参拝したと断定的に報じました。生稲氏が今月24日に参院議員就任後の靖国参拝を否定し、当時の取材過程を調べました。その結果、靖国神社への国会議員の出入りを取材する過程で生稲氏が境内に入るのを見たとの報告がありましたが、本人に直接の確認取材をしないまま記事化したと分かりました。また、当日参拝した複数の自民党議員が共同通信に『生稲氏はいなかった』と述べました。生稲氏が否定したことと併せ、当初の報告が見間違えだったと判断しました。誤った記事は国内外に配信しました。韓国外務省は『生稲議員が22年8月15日に靖国神社を参拝したものと承知している』とコメントしていました。日韓外交に影響した可能性があります。韓国外務省は25日、不参加としたのは追悼の辞の内容などが世界遺産登録に賛成するに当たって日本と合意していた水準に満たないためだったと説明しました」。との内容だ。

既存メディアは、色々と言い訳がましいことを述べるが、そもそもマスコミとは、一定の意図をもって情報を発信している。その一定の意図とは何か。そこを読み解いていかなくてはならない。私は、少なくとも前述する反日マスコミは、「日本を、権力者を貶めようとする意図」を感じるし、そのための都合の良い取材と裏取り、報道を繰り返しているとも感じる。取材費も無いのか、ネットの情報を記事化するマスコミを見受けるが、マスコミの本来の取材は足しげく通って情報を執る取材活動である。それが、本当の意味での取材活動、裏取りを行っているのか疑問に思うし、「一定の意図」のためには取材もせずに報道するなど、『何でもありなのか』とも思う。そういうマスコミの報道姿勢に嫌気を指し、情報を既存メディアから取らずに、SNSから情報を取得するといった者が増えていった気がしてならない。

既存メディアには信頼回復のための本来あるべき取材、裏取りの努力を怠らず、報道して欲しいとは望むが、「一定の意図」が歪んでいるようでは、その期待は遠いものとならざるを得ない。そして、別冊正論12号『朝日新聞・NHKの大罪』で記された、上島嘉郎編集長(当時)の以下の言葉が思い出される。
「昭和20年12月7日、連合国総司令部(GHQ)は新聞各社の代表を集め、彼らが作成した『太平洋戦争史』を示して掲載を命じました。新聞各社は開戦から4年後の翌8日付紙面で一斉に掲載し、朝日新聞はその後も『太平洋戦争史 続編』を連載しました。NHKも『真相はこうだ』というラジオ放送を開始、『真相箱』『質問箱』と名前を変えて昭和23年8月まで約3年間続けられました。新聞社も放送局も、日本人が戦った『大東亜戦争』という呼称は使わず、すべて『太平洋戦争』とし、以降長くマスコミから『大東亜戦争』の言葉は消えることになりました。故江藤淳氏の指摘によって、GHQの占領期間中に日本人がウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)に基づく徹底的な言論統制、情報管理を受けたことは、少なからず知られるようになりましたが、独立回復後半世紀以上を経てもなお、その残滓は色濃い。『その国の新聞(メディア)に影響力を及ぼすことは、数個師団を支配下に置くに等しい』というレーニンの言は今も日本を呪縛しているのではないか。朝日、NHKを見ていると、それを杞憂とやり過ごせない。そんな思いからつくった一冊です」。

片寄ったメディアによってつくられた日本の、戦後レジームからの脱却はまだ先のようである。
2024.11.26 18:11 | 固定リンク | その他
終戦80年に向けて⑧~特攻作戦80年の日に思う
2024.10.26
特攻作戦が敢行されて80年。昭和19年10月25日、日米海軍の主力が激突したフィリピン沖海戦で、関行男大尉率いる敷島隊などの零戦や艦上爆撃機が体当たりし、護衛空母1隻撃沈などの戦果をあげた。第1陣である海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊がフィリピン・レイテ島沖の米艦隊に突入してから80年を迎えた。

特攻作戦とは、「特別攻撃作戦」の意味で、他の戦闘と根本的に違う点が「必ず死ぬこと」が定められた作戦であるということ。重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈めるという『必死』条件の作戦であった。
特攻隊員の戦死者は、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、海軍が4,146人、陸軍が2,225人の計6,371人に上る(ただし、資料によっては人数に差異があり、戦死者数は確定されていない)。
特攻作戦の立案者の大西瀧治郎海軍中将自身、この作戦を「統率の外道」と認めていたように戦術として異常である。しかし、何故、特攻作戦をしなければならなかったのか。このブログでも何度も問いかけた。しかし、この特攻を語るに、特攻に殉じた若者、そしてそれを命じた者たちに分けて話をする必要があるというのは、自分の答えの中のひとつである。

「靖國で会おう」「後に続くを信ず」との想いを胸に、国を親兄弟を恋人を故郷を護ろうと出撃し散華された若者たち。軍上層部への不信感を募らせながらも自らが命を懸けると決心して立ち上がった者もいただろう。「命を懸けてでも約束を守ります」とよく政治家が言うが、特攻隊員の方々の想いを知れば知るほど、そう簡単に「命を懸ける」なんて私は言えない。二度とこんなことがあってはならい。10月25日付産経新聞の主張の欄にも書いてあったが、「現代日本は特攻のような究極の戦術をとらずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある」と。その通りである。


残された遺族はどんな思いだったのか。

ひとつの手紙を紹介したい。

「天国のあなたへ 秋田県 柳原タケ
娘を背に日の丸の小旗を振ってあなたを見送ってからもう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのはほんのつかの間でした。
三十二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは今どうしていますか。
私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
あなたは三十二歳の青年、私は傘寿を迎えている年です。
おそばに行った時おまえはどこの人だなんて言わないでね。
よく来たと言ってあの頃のように寄り添って座らせてくださいね。
お逢いしたら娘夫婦のこと孫のことまたすぎし日のあれこれを話し思いきり甘えてみたい。
あなたは優しくそうかそうかとうなずきながら慰め、よくがんばったとほめてくださいね。
そしてそちらの『きみまち坂』につれていってもらいたい。
 春のあでやかな桜花、
 夏なまめかしい新緑、
 秋ようえんなもみじ、
 冬清らかな雪模様など、
四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっとあなたを思いつづけ愛情を支えにして生きてまいりました。
もう一度あなたの腕に抱かれてねむりたいものです。
力いっぱい抱き締めて絶対はなさないで下さいね」。

秋田県二ツ井町が主催した1995年2月14日バレンタインデー「第1回日本一心のこもった恋文」大賞に輝いた柳原タケさんが書いたものである。柳原さんは当時80才で秋田市に住んでおられた。この文は靖国神社の遊就館のビデオにも紹介されており、元雑誌「正論」編集長の大島信三氏のブログにもこの文と出合った時の感動が述べられている。

「戦死した夫は三十二歳のままで柳原タケさんの心の中に生き続けています。傘寿(さんじゅ)とありますから、この天国への書簡はタケさんが八十歳のときに書いたものであることがわかります。おそらくタケさん自身もずっと新婚当時の気持ちのままで夫と対話してきたのでしょう。それにしても、なんとも瑞々しい文章です。愛情の継続性に驚嘆します。
同時に、つかの間の新婚生活しか過ごせなかった時代に巡り合わせてしまった不遇にことばもありません。この一文をメモ帳に書き留めていましたら、三人連れの中年女性が立ち止まりました。彼女たちは読み終えたあと、嗚咽しながらその場を離れていきました」。

…言葉にならない…。今、この文を書いていて、涙が溢れてくる…。


かたや特攻を命じた者の想いはどうであったか。

著書『特攻の真意 大西瀧治郎はなぜ「特攻」を命じたのか』(神立尚紀著=ノンフィクション作家、写真家)は、著者による聞き書きをもとにして、そもそも特攻とは何か、大西中将の実像とはいかなるものだったのかが、編まれているが、その中の文章が端的に表現されているので、以下引用したい。
「昭和19年11月下旬、部下の特攻機を率いてフィリピン・ミンダナオ島のダバオ基地に派遣されたさい、大西の右腕である第一航空艦隊参謀長・小田原俊彦大佐から聞かされた話である。角田はかつて、小田原から計器飛行を教わったことがあった。小田原は、『教え子が、妻子をも捨てて特攻をかけてくれようと言うのに、黙っているわけにはいかない』と、大西から、『参謀長だけは私の真意を理解して賛成してもらいたい。他言は絶対に無用である』と言われていたというその真意を話してくれたのだ。小田原大佐の語った大西中将の真意を、角田は克明に記録している」と。
そして、それは「これ(特攻によるレイテ防衛)は、九分九厘成功の見込みはない。これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では何故見込みのないのにこのような強行をするのか、ここに信じてよいことが二つある。
一つは万世一系仁慈をもって国を統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。
二つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族がまさに亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦を止めさせられたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである。
しかし、このことが万一外に洩れて、将兵の士気に影響をあたえてはならぬ。さらに敵に知れてはなお大事である。敵に対してはあくまで最後の一兵まで戦う気魄を見せておかねばならぬ。敵を欺くには、まず味方よりせよ、という諺がある。
大西は、後世史家のいかなる批判を受けようとも、鬼となって前線に戦う。講和のこと、陛下の大御心を動かし奉ることは、宮様と大臣とで工作されるであろう。天皇陛下が御自らのご意志によって戦争を止めろと仰せられたとき、私はそれまで上、陛下を欺き奉り、下、将兵を偽り続けた罪を謝し、日本民族の将来を信じて必ず特攻隊員の後を追うであろう」。

…考えさせられる…。

先述の産経新聞「主張」では、以下のように記している。

「特攻は戦後、『軍国主義の象徴』などと批判された。選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。現代日本は特攻のような究極の戦術をとらずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。
特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。特攻を『カミカゼ』と呼んだ米軍は、異常な戦術とみなす一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。特攻は、世界が日本人を強い存在とみなす一因となり、戦後の日本も守ってくれている。
特攻に赴いた将兵一人一人にさまざまな思いがあったことを想像するとき、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない」。

寺子屋「玉川未来塾」では、今年は「特攻作戦から80年」をテーマにイベントを開催した。そして、来年は「終戦80年」をテーマにイベントを開催する。今日の日本の平和があるのは命を賭して戦ってくれた先人のお陰で、その英霊の尊い犠牲の上に今の平和があるのである。
「特攻を賛美するな」とか「戦争に賛成なのか」などとご批判をいただくことがある。しかし、賛美もしていないし、戦争は絶対に反対である。
そうではなくて、実際に、命を懸けて戦ってくれた先人がいるという事実にスポットを当てた時に、なぜ、その先人に感謝の気持ちを述べることがいけないのか。何故、英霊が祀られている靖國神社を感謝の誠を胸に参拝してはいけないのか。事実を客観的に見ていけば、その答えが、私が行うイベントの「事実」なのであって、誰も何も言えないはずである。英霊への感謝以外の何物でもない。

結びに、先日開催したイベントでお話をいただいたジャーナリストの上島嘉郎元雑誌「正論」編集長からの次代を担う若者たちへのメッセージでいただいた言葉で締めたいと思う。
「ご両親を大事に、無限の希望を持って羽ばたいてほしい。そして、彼らがいたということを忘れないで欲しいし、忘れることは二度殺すことになる。日本の未来は次代を担う若者にかかっているが、それはそれとして、自分の人生をいかに充実させて大切に生きていくかを考えてほしいし、自分の人生を充実させて生きていくことが、どこか日本の国のために役立つこと、自分以外の誰かのために役立てるということを意識して欲しい。思いは繋がっており、自分は一人ではなく、大きな日本人という民族の一人としての存在である」。

心の奥深くに噛み締めたい。
2024.10.26 10:51 | 固定リンク | その他
終戦80年に向けて⑦~彼らを忘れない
2024.09.26
去る9月23日(月・振替休日)、靖國神社啓照館において「特攻作戦から80年『次代へ繋ぐ 特攻隊員の想い』」トークライブを開催し、約80人の方々にお越しいただきました。
ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。

また、お忙しい中、ご登壇をいただきました柿崎ゆうじ監督、上島嘉郎さん、そして葛城奈海さん、心から感謝申し上げます。
そして、お手伝いに来てくれた若いスタッフの皆様、お忙しいのにも関わらず、ご協力をいただき、ありがとうございました。
さらには、企画から当日まで、靖國神社職員の皆様には本当にお世話になりました。心から御礼を申し上げます。

当日は澄んだ、そして、厳かで清々しい空気の中、来場者皆様と一緒に本殿にて昇殿参拝をさせていただき、英霊に感謝の誠を捧げさせていただきました。

特攻を作戦として行われるようになってから80年という今年、「特攻」をテーマとして、
舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を務めた柿崎監督と、そして、数々の有識者への取材を重ねたジャーナリストで元雑誌「正論」編集長の上島嘉郎さん、そして葛城奈海さんの見事な司会進行のもと、トークライブを開催し、貴重なお話を伺うことが出来ました。

その中で、特攻に殉じた若者、そしてそれを命じた者たちに分けて話をする必要があると、冒頭、上島さんからのお話があり、統率の外道と自らを称した大西瀧治郎中将のお話や、特攻に反対した指揮官のお話、さらには今までの視点とは違った深い内容の話に、感嘆しました。
また、知覧陸軍特攻基地から出撃した特攻隊員と〝特攻の母〟として特攻隊員の出撃を見守った鹿児島・知覧の「富屋食堂」のおかみ・鳥濱トメさんとの秘話である、舞台「帰って来た蛍」を2008年以来から上演し続けた柿崎監督からは、鳥濱トメさんを題材にして、舞台にしていこうと思ったきっかけのお話や制作エピソード、作品に対する思いなどをお話いただきました。

最後に、「ご両親を大事に、無限の希望を持って羽ばたいてほしい。そして、彼らがいたということを忘れないで欲しいし、忘れることは二度殺すことになる。
日本の未来は次代を担う若者にかかっているが、それはそれとして、自分の人生をいかに充実させて大切に生きていくかを考えてほしいし、自分の人生を充実させて生きていくことが、どこか日本の国のために役立つこと、自分以外の誰かのために役立てるということを意識して欲しい。思いは繋がっており、自分は一人ではなく、大きな日本人という民族の一人としての存在である」と次代を担う若者へのメッセージをいただきました。
登壇者の皆様には、本当に貴重なお話を伺うことができ、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

今回のイベントで今年度も最後。
今年は2回のイベントを全て靖国神社で開催させていただきました。何れもテーマは「特攻」について。
平気で人を殺める犯罪が増えている昨今、また、犯罪を犯しているにも関わらず、平気で逃走する者がいる、そんな現代社会を憂う今日において、私は、他人を思う気持ちが足りなくなった人が多くなったように感じてきました。
しかし、あの大戦時、しかも必死の特攻作戦のため、生きたくても生きられなかった人たちがいた。公のために尽くし、家族のため、愛する恋人のために、戦ってくださったその先人たちの思いを感じて貰いたいと。
その思いを靖国神社で開催することで、ご来場いただいた皆様は、それをどう感じてくださったのかと思う次第です。
1つでも心の中に残るものがありましたらこんなに嬉しいことはありません。
来年は終戦80年。とても大事な年だと位置づけています。その年に相応しいイベントをまた企画してお届けしたいと思っています。
今年も私が企画するイベントにご参加いただきました全ての皆様に、心から感謝申し上げます。
また、来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

最後に、ご来場いただきました皆様から多くのコメントをいただきました。これを読んでいただくと、どういった話があったのか、分かると思います。長くなりますが、ご覧いただけましたら幸いです。

・上島さん、柿崎監督、葛城さんそれぞれの思いを伺うことが出来、良かったです。戦争を美化すること無く実相を後世に引き継ぐためにも、小・中学校の歴史教科書を書き直す必要があろうと思います。その前にマスコミや教師を何とかせねばということなのでしょう。(埼玉県在住・50代男性)

・今回はこの様な大変貴重なお話をお聞かせて頂き誠にありがとうございました。戦争や特攻作戦が記憶から歴史へと変わり始めているこの時代に私達若者が正しい歴史を学び、当時の特攻隊の方々やそのご家族やご友人の方々の想いを知ることが何より価値が高いものだと感じました。特攻をした方々は特攻で亡くなり無に帰すわけではなく、その想いを次世代の人が忘れることがなければ永遠に不滅であるという点に非常に感動し、そして私達日本人がその方々の想いによって今生活できていることに感謝の想いで溢れました。また、命を懸けて日本を守ってくださった先人たちがいながら今の若者の多くは夢や希望もなくただなんとなく生きている人が多いと感じます。その為、今回のお話を聞くことができた若者の代表として私が特攻隊の方々の想いや正しい歴史を更に多くの若者に伝えていきます。本日はありがとうございました。(東京都在住・20代男性)

・今までと違う話が聞けて新鮮でした。ほんとなら、戦争を考えたりしないで、普通に暮らせただろう英霊たちの、心の声を知る事ができたなら…と考えたりします。上島さんの、話し方が優しく、とてもわかりやすくて、聞いていて心に刺さりました。最後に、葛城さんが壇上に立ち、何も見ずに遺書を話してくれたのも、感動し印象に残りました。今回は、今まで以上に、素晴らしいイベントでした。ありがとうございました。(東京都在住・50代女性)

・この度は貴重な機会に参加させて頂き、誠にありがとうございました。言葉にならない想いで胸がいっぱいですが、感じた事を伝えさせて頂ければと思っております。私自身、これまで日本人として何となくの誇りを感じて生活してきました。それは、日本という国が居心地が良く、想いやりに溢れた国だという自信があったためです。今回の特攻作戦のお話を聞いて、日本人たる矜恃を忘れたくないし、父祖たちの紡いできた想い、魂を私たちが後世へ伝えていく必要があるなと感じさせて頂きました。特攻という、必死の戦場へ向かっていく若者たちの葛藤、分かっていても未来の和平のために自分の責務を全うしようという透明な決意などを知り、現在生きれていることへの有り難さを実感しました。そして、この想いを忘れないことで、今後彼らより何倍もの人生を生きるであろう私達が使命感を持って伝えていきます。今回の講演を聞くことができて、大変感動致しました。ありがとうございました。(東京都在住・20代女性)

・子に危害が加えられようとした時に、何もしない親はいない。武器がなければ、自身の身体で戦う。これと特攻は究極的に同じである。上島氏のコメントだったかと思うが、非常に腑に落ちたし、特攻隊の方々の気持ちが少しだけ、理解出来たような気がする。すごい良い説明を頂いたと思っています。新婚にも関わらず特攻に向かわれた方々。妻や後世の日本人を守るためとはいえ、妻と別れなければならないのはどれだけ辛いことだろうと、結婚したからこそ、より感じるものがありました。だからこそ、私たちを守ろうとした英霊を絶対に忘れてはいけないと、より強く思えました。また、上島氏の最後のメッセージにも勇気をもらえました。先ずは自分の人生を充実させる、そこで一生懸命することがいつか、国にも繋がってくると思うといったメッセージだったかと思います。地に足をつけ、仕事場で自分の力をしっかり付けること。並行して、玉川未来塾などで国への意識を持ち続ける。その方針でこれからも頑張りたいと思います。貴重な機会、ありがとうございました。(いつかは、妻にも触れてもらうようにしたいなと思います。)(東京都在住・20代男性)

・とても良い機会ありがとうございました。出来れば、で良いのですが、昇殿参拝をトークライブに出来れば良いなと思いました。特攻隊への学びを深めた後に、その気持ちでもう一度参拝したいと思った次第です。(東京都在住・20代男性)

・きっと敵も味方もなかったと思います。特攻隊員の人たちがどのような気持ちで過ごしたかを知り胸が圧し潰されるようでした若いのにみんな凄くて偉くて立派です たくさんの人たちが生きたかった生きていたかった今日、私も大切に生きたいと思います。一人ひとりが平和について考えることが必要だと思います。今日も素晴らしいト一クをありがとうございます。圧倒されるほど感動しました 貴重な1日を ありがとうございました また宜しくお願い致します。(千葉県在住・50代女性)

・日本人として、先人達の想いを感じ、改めて自らを見つめ直す良い機会を得る事が出来ました。日本人として一人一人が、先の大戦の意義を知り、先人達の想いを繋ぐイベントをこれからもよろしくお願いします。(東京都在住・50代男性)

・本日はお疲れ様でした。ありがとうございました。初めて本殿で参拝させてもらい、涼しい風と美しい緑に触れながら、感動的な瞬間を味合うことができ、感謝しています。また、閉会の辞を述べようとした玉川さんが感極まり、沈黙が数秒続いた後、いつもと違う音声で喋り始めた時は、ホロリとしてしまいました。ただ、トークは、柿崎さんは評価できたものの、他のお二人には、何か違和感を感じました。私と同じ種族ではない?みたいな。ま、トークスタイルでの難しさなのかもしれませんね。また、来年の終戦80周年のイベントには、機会が許せば参加したいと思います。(東京都在住・50代女性)

・本日は参加出来たことで、命の使い方、死生観の本質が聞けました。私も微力ながら、国や相手、誰かのために命を費やし、そのことで自分の心が成長し、成長したことでまた、相手や国のために頑張る。共存共栄、国民と皇室の國體の精神性を特攻精神、楠木正成の忠、武士道など振り返ることが出来ました。またどうぞ宜しくお願い致します。(東京都在住・40代男性)

・私たちは特攻隊のご遺族である。なぜなら、私たちのために犠牲になられたから。20代から上の世代まで一緒に考えました。柿崎監督の事務所の俳優の方々がたくさん来られていましたが、スゴく幸せだと思います。柿崎監督がレールを引き、共に精神性も創り上げていく。素晴らしい監督です。これからは考えるだけではなく、現場に行く、本物に触れる、当事者と交流することで心に落とし込む事が必要だと感じています。素晴らしい収穫の日でした。最後に葛城さんから、靖國の招魂斎庭を教えて頂き、初めてお参りをいたしました!ありがとうございました。(東京都在住・40代男性)

・今回も心に沁みる素晴らしいトークライブでした。企画をありがとうございました。今日一緒に参加していた◯◯さんとも仲間で、赤羽潤さんにも気をかけて頂いてます。戦没者慰霊顕彰や有志との清掃奉仕、遺骨収容にも参加しており、今日のトークも日頃の活動での気持ちと繋がることもあり感慨深くなり胸が熱くなりました。周りの人も誘ってまた参加したいと思います。引き続き宜しくお願い致します。(千葉県在住・40代男性)

・昨年に引き続き、本日のイベントへ参加させて頂きました。上島さんの言葉や感性が今までの私の中にはないもので、とても新鮮でした。皆さんのお話を聞いている時に何度も感動して涙が出て、感想を上手く言い表すことは出来ませんが、まずは自分の人生を力いっぱい生きていこう、と勇気を頂きました。玉川さんのFacebookで、何ヶ月も前から本講演会の準備をして下さっていたことを拝見し、このような貴重なイベントを企画頂いたこと、そして参加させて頂けたことに本当に感謝しております。(20代女性)

・参加させて頂いて、本当に良かったです。素晴らしいトークライブでした。今年、僕が参加したどの研修、講演会よりも濃く有意義で感動的な内容でありました。靖國神社へ伺うのは今年5回目でした。企画のお題が特攻作戦であり、また一般の若者が主対象と聞いておりましたので、あまり深く掘り下げない“反リベラル戦後民主主義”を叫ぶような内容かな?!・・と真に失礼ながらタカを括っておりました。ところが、全く左にあらず!!特攻作戦を立案、命令する将官・指揮官と、実際に出撃して征く兵士・搭乗員との複雑な葛藤と心境に丁寧にスポットを当ててお話くださいました。僕自身、割り切れないモヤモヤを抱えておりまして、今もそれはそうなのですが、そのモヤモヤにしっかり輪郭をつけてくれたような気がします。全体のシナリオは玉川さんがお作りになったものと拝察いたしますが、本当に良く出来ていました。最後の葛城さんの大西瀧治郎中将の遺書の朗読(暗誦)は涙腺が壊れました。「特攻精神を堅持し・・」とは「公に殉ずる覚悟を持て(保て)」という事なのですね。
余談であります。アメリカのSF『ディープインパクト』のラストに近くで、彗星に宇宙船ごとぶつけて自分達は死んでも地球を救おうと、船長のロバート・デュバルがポケットから日本の特攻隊員の遺書の写しを取り出して読み上げるシーンがありました。『アルマゲドン』にも『インデペンデンス・ディ』にも自己犠牲のシーンがあります。アメリカ人の方が自然に受け止めているのかも知れません。これからの企画、大いに期待しております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。(東京都在住・40代男性)

・特攻のお話を伺い、大西瀧治郎中将のご遺書の言葉を伺い、とても胸が熱くなり込み上げるものがありました。直接に戦争経験をなされた語り部の方々がいらっしゃらなくなるこれからの時代に、記憶から消えてしまわぬように我々が伝えていかなければと身が引き締まりました。来年の3月あたり、サイパンにも行ってみようと思います。この度は貴重な機会を誠にありがとうございます。(30代男性)

・今回のイベントは、内容が濃くて、初めて聞く話もあり、素晴らしい時間を過ごしました。一つ一つの言葉が、心に刺さりました。何度かイベントに参加してますが、毎回思うのは、「忘れてはいけない」。そして「知りうる事を伝えていく」。若き英霊たちがいたから、今のこの日本がある事を忘れてはいけない…。そして伝えていかなくてはいけない…。参加して良かった。また必ず参加したいと思います。(東京都在住・50代女性)

・今回は特によかったと思います!玉川さんが悩みに悩み練りに練ったであろう台本、上島さんの「忘れることは二度殺すことだ」、柿崎監督の不屈の行動、本当に胸に突き刺さりました。歴史を検証するのは歴史家の仕事ですが、後世のこれからを生きる人へ伝え繋ぐのは間違いなく僕らの務めです。敬意を込めて、一助になれればと、強く思う次第です。(東京都在住・50代男性)

・先人の方が未だ見ぬ後世の僕らへ言い残した、どうしてもの思いの中の一つ「世界和平」とは、現代の感覚ならば「戦争のない世界」なのでしょうが、最近になって知るにつれ、「隷属しない自由と誇りある世界」こそが、大東亜戦争の悔いのない成果だったのではないかと考えています。「神風特攻」とは、日本の敗戦とともに吹いたアジアの風だったのでないでしょうか。(大田区在住・50代男性)

・今日のトークライブを通して、野中中佐などの知らない人物を知ることができ、とても勉強になりました。また、今まで普通に見ていた「鬼滅の刃」についての意識も変わりました。「人の想いは不滅」ということをむねに、また違う感情で見てみたいと思いました。そして、私は現地に行ったことがないので、これから足を運びたいと思いました。これから何か悩んだりすることがあったら、心に特攻隊員の方々や、他の英霊の方々を思い浮かべていきたいと思います。そして、上島さん、柿崎さん方がおっしゃってくださった、「彼らがいたことを忘れない」「想いはつながっている」「無限の希望をもって羽ばたく」「自分の人生をいかに大切に生きるか」ということを心に刻んで生きていきたいと思いました。(静岡県在住・10代女性)

・英霊のみなさんが、命をかけて守ろうとしてくれたことを忘れずに、自分ができることを精一杯やっていきたいと思いました。私の祖父も英霊です。特攻隊員ではありませんが、招集軍人でした。最近の多くの人たちは、大東亜戦争のことを誤解していたり、よく知らないと思います。今、こうして私たちが平和な毎日を過ごすことができることは、英霊のみなさんのおかげです。このことを多くの人たちに伝えていき、日本人に誇りを取り戻すようになれる日が一日でも早く来て欲しいと思います。本日はありがとうございました。(静岡県在住・40代男性)

・本殿での参拝が出来て、本当に感動しました。今年のお盆に帰省した時に、たまたま親戚に特攻隊員が居たことを知って、タイミングよく今回のイベントに参加出来ました。何度も戦死された身内の名前を唱えながら参拝出来ました。トークの内容も、大変感動致しました。今まで気づかなかった事、戦争への思い等、深く考えた事もなかったのですが、良い機会となりました。ありがとうございました。又、参加したいと思います。今日はまず一歩です。(東京都在住・60代女性)

・おもてのメディアでは聞けない特攻隊員の想いや、貴重な話を聞くことができ、誠に学びになりました。(東京都在住・20代女性)

・本日は貴重なお話を聞くことができ、とても光栄に思います。私は、当時の状況を学校の歴史の授業で学んできましたが、知らないことばかりで、もっと当時のことを勉強し、今の自分に還元していきたいという思いが強くなりました。ありがとうございます。(東京都在住・20代女性)

・本日は、特攻作戦、特攻隊の思いについて大事なお話を聞かせていただきました。今日の日本と平和があるのは戦ってくださった方、特攻隊員の命と引き換えに日本のために戦ってくださったその思いを忘れずに生かし続けることの大事さに改めて気付きました。ありがとうございました。(神奈川県在住・10代女性)

・特攻隊の方々が、どのような葛藤を抱き、もがきながらも固い決意をもって飛び立ったのか、改めて身に染みて感じました。つないでくれたこの命を、英霊の皆様に恥じぬよう生きていかなければいけない、日本人としてあるべき姿だと思いました。特攻隊の方々の苦しい葛藤と、その中で国を、家族を護るために大きく決意したこの強い思いを私は絶対忘れず胸に刻み生きていきます。私達20代はギリギリ戦争体験者の話を聞くことができた「記憶」している最後の世代だと思っています。そのため、国の進む道がどうなるのかも私達にかかっていると思います。先人たちの思いを忘れず、受け継いで生きていけば、未来の日本も美しく輝いているんじゃないかと思います。そのためにも、目の前の今私にできることを一つ一つ積み上げていきたいと思います。(神奈川県在住・20代女性)

・80年前の特攻隊員の方々も自分たちと何ら変わらない人間だったと、葛藤があったんだと思うと、特攻作戦を美化するのはどうかと思うが、特攻隊員の方々は語り続かなければならないと思った。軍人として死ぬ覚悟を持って戦うのは当たり前だが、若い軍人が死を目的に特攻作戦を遂行するのは全く違うものだと意見した特攻隊員のお話はすごく印象に残った。石原元都知事の襲撃されたお話を聞いて、だから毎年、知事としてもそうだが、日本人として、私人として参拝されたのだなと納得がいった。最後の特攻隊員の中津留さんの話を聞いて、冷静な判断を死の間際までできたのはすごいし、日本の名を死をもって守り抜いたと聞いて鳥肌が立った。(神奈川県在住・20代男性)

・大変熱いものを感じました。歴史で知らないことが沢山ありました。BC級戦犯の存在が忘れられています。是非、勉強会を開いてほしい。日本に資料館も少なく、日本人として、民族として忘れてはならないと思います。(東京都在住・70代男性)

・本日は貴重なお話をしていただきありがとうございました。靖國神社で昇殿参拝をさせていただき、身が引き締まる思いで傾聴させていただきました。上島さんから先の大東亜戦争の時代背景や当時の考え方、特攻隊員やご遺族の方々の思いを聞かせていただき、日本を知ることの大切さを感じました。思いは滅びない、思いはつながっていることを忘れずに自分の人生を歩んでいきたいと思います。柿崎監督からは、舞台「帰って来た蛍」や作品を作る思いを聞かせていただいて舞台に立たせていただけたことに改めて深く感動しています。本日は、本当にありがとうございました。(東京都在住・10代女性)

・特攻について、このように知る機会をありがとうございました。実際にその時代に生きた人々について想いを知ることができ、整備士とパイロットは相棒だったというお話がとても印象的でした。学校の歴史では、死者数や戦跡、終戦の日付を学ぶといった結果、全体を大きく知識として得る教えが多いような気がしています。なので、個人として一人一人の想い、どんな人々が生きていたのか、特攻兵とひとくくりに名前を呼んでも何人何百人の人物がいて、いくつもの隊があって、一人でも多くの人のことを知りたいと思いました。昔に起きたことではなく、もっと身近にあるものと捉え、日本人全員の先祖であるというお話にあったように、日本という国を守ってくれた隊員の方々の心を受け継いでいけるように一生懸命に生きていきたいと思いました。貴重なお話を聞けた機会をありがとうございました。(神奈川県在住・20代女性)

・特攻作戦とは、戦争を知らない自分達からすると、実際に何があったかわからない。自分からすると、このようなイベントがあると真実が分かるので、すごくいいイベントだと思いました。(神奈川県在住・20代男性)

・大変勉強になりました。知らなかったことを聞けた。同志の仲間と思いを共有できた。日本人の考えを、上島先生、柿崎先生、葛城先生と思いを共有できた。昇殿を同志方々と一緒に参拝できてよかった。貴重なお話をありがとうございます。(東京都在住・70代男性)

・素晴らしいフォーラムでした。若い役者さんが良いお話を聞いて、受け止めてくれたと思います。上島さんの最後の中津留達雄さんの話も良かったと思います。また、上島先生のお話を聞いてみたいです。(秋田県在住・男性)

・自分自身、学生時代、剣道をやってきたからか特攻に限らず自らの死をもって誰かを守るという場面はイメージできます。何となく、特攻に行く若者とすれば自分が死ぬことで何十人、何百人を守れる、あるいは倒せると信じることができれば大役を勤めるという納得した思いで旅立ったと思います。これまで、あまり命じる上官の思いを考えた事はなかったのですが、上官としても他に効果的な作戦がない中で、十分な効果が期待できるのであれば辛いながらも納得して命じることができたのではないかと思いました。今の政治家にこうした思いで政治を行ってほしいとも思いました。そして、寺子屋「玉川未来塾」に楠木正成など戦後に失われた歴史を取り上げ、教えてほしいです。

・柿崎氏のトークは、映画、演劇世界のプロとして客観的な観点からの内容であったが、上島氏のトークはあまりに感情的であり、しかも歴史観(戦後の歴史)については、いささか疑問を感じる点も少なからずあった。昨年の特攻隊についての靖國神社関係者からの説明をメインにしたイベントの方が評価できる。(東京都在住・60代女性)

・戦局困難な中での特攻を命じる側、命じられる側の苦悩を切実に感じることができました。国を守るために命を賭して戦った軍人がいて、今日の日本があることを改めて感じました。特攻の想いを風化させない事が、今の日本にとって極めて大切であり、舞台を通じて伝承していただきたいと心より願っています。大変感動するお話を聞くことができ、来てよかったと思います。(埼玉県在住・60代男性)

・感動いたしました。特攻隊の方々に感謝し、毎日を大切に生きようと思う。(東京都在住・70代女性)

・戦争のことを少し勉強していても、全然知らないことを知りました。それと、色んな視点から考えさせられるところが凄く良かったと感じました。そして、今の生活が出来るのも先人達のおかげなので、その人達の想いを受け継ぐことをしなければなと感じました。(東京都在住・30代男性)
2024.09.26 14:13 | 固定リンク | イベント

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