終戦80年に向けて⑪~次代へ繋ぐということ
2025.05.27
2013年12月初版の『英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄』という書籍がある。
著者はヘンリー・S・ストークスという『ファイナンシャル・タイムズ』『ロンドン・タイムズ』『ニューヨーク・タイムズ』の各東京支局長を歴任し、三島由紀夫とも親交を結んだ英国人の記者。来日当時は、東京裁判が裁いた「日本=戦争犯罪国会論」や「南京大虐殺」について事実であるという戦勝国史観を疑うことなく信奉していた著者が、考え方を大転換させ、戦勝国の都合で作り上げられた「日本悪玉論」を断罪。南京事件や靖国参拝、従軍慰安婦などの問題について論じ、さらに三島が死を賭して訴えようとしたものが何であったかを問いかけている書籍である。
著者は、日本に滞在する間に、連合国からの視点でもなく、日本からの視点でもない第三者的視点で論じている。そして、著者が声を大にして言いたいと論じているのは「南京事件」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、これらの問題のほとんどは、日本人側から中国や韓国にけしかけ、問題にしてもらったのが事実であると語っている。さらに日本人は、いまだ連合国がでっち上げた「戦勝国」史観の呪いから抜け出していないと警鐘を鳴らしている。

『世界がさばく東京裁判』という著書が発刊されたのは2005年8月。
初代国際連合大使であった加瀬俊一氏は、かねてから勝者による敗者に対する一方的断罪裁判である「『東京裁判』を裁判せよ」と主張し、歴代首相にもその必要性を説いたというが、この著書は、ハーバート・フーバー米元大統領、英国枢密院書記官長であるハンキー卿、ベルト・レ―リンク東京裁判蘭代表判事、ラダビノッド・パール東京裁判インド代表判事、アンリ・ベルナール東京裁判仏代表判事など14カ国の高名な識者85人が連合国の戦争責任を追及し、東京裁判を批判している。日ソ中立条約に違反して満州に侵攻し、虐殺略奪をほしいままにしたソ連(当時)には明らかに日本をさばく資格は皆無であり、66都市を無差別爆撃して40万の非戦闘員を殺戮したうえ、原爆を投下した米国は、重大な国際法違反であり、その非戦闘員を殺戮した罪は断罪せず、客観的事実から見て、「連合国の戦争責任」を問うべきであると、この書籍では語っている。

大東亜戦争後、アメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とした秘密通信をアメリカ軍事情報部が秘密裡に傍受解読した記録の「ヴェノナ文書」や「ミトロヒン文書」、米軍がビルマ(ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人から尋問した「米国戦争情報戦資料『心理戦チーム報告書』」など、戦争時における公文書が発掘され、ラストボロフ事件、レフチェンコ事件などコミンテルンのスパイ行為なども含め、歴史の真実が次々と暴かれているが、世界は未だに中国、韓国などの反日勢力に真実を捻じ曲げた歴史の流布や、日本の国際社会に対する発信不足により、日本は貶められ、その現状が克服できていない。若者を中心に日本人も正しい歴史を認識するようになってきたが、中国の「南京大虐殺」や韓国の「従軍慰安婦問題」に対する反論ができない日本人も少なくないのである。

歴史認識問題は、1970年代には、もう過去の問題となっていて、外交問題にはならなかったにも関わらず1980年代に復活した。その発端は、すべて日本人の手による、日本発のものであった。歴史教科書問題、首相の靖国神社参拝問題、従軍慰安婦問題。どれも1980年代以降に問題化し、日本の中から生まれたメイド・イン・ジャパンの問題なのである。中国や韓国にとっては有り難いテーマで、そのカードを使うことになる。また、明星大学の高橋史朗教授によれば、ユネスコ記憶遺産に慰安婦問題の申請登録を主導しているのは日本のNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」や「日本の戦争責任資料センター」であるというのは先述した通りであるが、このように、左翼リベラリズムの人々が、歴史認識問題を再生産しているのである。
左翼リベラリズムが浸透している反日左翼の市民団体、NHK、TBS、テレビ朝日、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同新聞や地方新聞など反日マスコミ、教育界、さらには歴史学会、司法界なども反日行動、情報を流布している。反日マスコミは事実をすり替えた報道を繰り返し、読者や視聴者はそれを知らぬ間に信じてしまうような情報操作が行われる。教育機関は事実と反した歴史教育が行なわれ、左翼が未だに根強く社会に反日運動を繰り返すといった状況にあるのが現状である。このように、日本を貶めているのは日本人自身なのである。

終戦80年を迎える今年。戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなった。戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占めると言われている今日、今もなお、間違った歴史の史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の想いを次代へ繋ぐべきなのか。

昨年の靖國神社秋季例大祭において、大塚海夫宮司は挨拶の中で、「来年迎える終戦80年を機に、主たる参拝者は、戦争体験者やそのご遺族から戦争を体験されていない者たちへ変化する」と話された。これからは、戦争を体験していない者たちが靖国神社をお支えする時代へと突入する意味を仰られた中で、本当の意味での「次代へ繋ぐ」時代にとなると感じている。

世間では、保守が2割、左翼リベラルが2割と言われ、残り6割がグレーゾーンの人たちであると言われている。いわゆる「ノンポリティカル」という無関心な、あるいは今まで記してきた客観的事実を知らないためどちらにも属さない層とされている。正しい歴史の真実や、その思いを次代に繋いでいくためには、保守の2割を確固たる考え方の層で固め、ノンポリ層を如何に保守層に取り込むことができるか。その活動を一つ一つ地道にコツコツと行っていくことが大切ではないかと思う。なぜなら、次代に繋いでいくための特効薬はないと思うからだ。

終戦80年を迎えるにあたり、特に大東亜戦争や特攻を美談として語るのは止めろと言う人がいるし、私自身もこうした活動をしている中で言われたりもした。しかし、事実だけを客観的に言えば、好むも好まざるも、大東亜戦争で日本国を、故郷を、家族を、恋人を護るために戦った人がいて、今日の日本があり、その先祖の尊い犠牲があったからこそ、日本の平和があることは客観的な事実ではなかろうか。そして、尊い先人の犠牲の中で、今の平和があることを忘れてはならない。そして、歴史を語るに現代の視点から論じるのではなく、その時代の歴史の背景まで目線を下げて、その当時の価値観と同じ目線で歴史を語らなければいけないと思うのである。

そのような思いを胸に、寺子屋「玉川未来塾」の活動をしているので、終戦80年を迎える節目の今年も、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をし、講演後に遊就館を見学することによって、講演での話を噛み締めると同時に、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ること、加えて次代に英霊の思いを感じて欲しいと願って、イベントを開催する。
詳細は以下のURLよりご覧いただきたい。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html

日本の歴史は、尊い先祖から受け継いだ命のバトンだと感じている。そして、そのバトンをこれからの日本を背負う次代に引き継いでいきたいと思う。
2025.05.27 07:17 | 固定リンク | その他
「学校では教えない日本人の物語 『島田叡』~戦中最後の沖縄県知事~ 講演会」のお知らせ
2025.05.15
今年は、沖縄戦終結、そして終戦から80年の大切な年。

寺子屋「玉川未来塾」では終戦80年特別企画イベント第一弾として「学校では教えない日本人の物語 『島田叡』~戦中最後の沖縄県知事~ 講演会」を以下の通り開催いたします。

沖縄を護るために特攻作戦が開始され、鹿児島県の知覧基地を始め、九州各地、また、当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃しました。
その沖縄戦時に、困窮する食糧確保のため、米を調達したり、疎開を促進したりするなど「県民の命を守るため」に可能な限りの施策を考え、陣頭指揮を執った当時の県知事島田叡。戦争が激化し、摩文仁の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「生きぬけ」と伝え、逃したのは有名な話です。
戦争の記憶が薄れていくなか、今日の日本の礎を築いた英霊に感謝の誠を捧げるとともに、先人の声を、思いを次代へと繋いでいくために、ぜひ聞いていただきたいお話です。

【日時】令和7年6月29日(日)
12時00分  受付開始
13時00分  昇殿参拝
13時30分  講演会(約60分)
14時30分頃 遊就館自由拝観

【会場】靖國神社参集殿、啓照館(〒102-0073 千代田区九段北3-1-1)

【演題】「『生きろ!』~沖縄の島守からの伝言~」

【講師】大向真司氏(株式会社キャリアコンサルティング講師)
(株)キャリアコンサルティングにて「歴史に学ぶリーダーシップ講座 島田叡」を担当。
2014年より産経新聞社主催「大東亜戦争を語り継ぐ会」の運営に参画。
2020年より玉川未来塾のイベント運営に参画。主に若者を対象に、日本のために戦ってくれた先人達の想いを伝えるための講演活動を行っている。

【定員】200名(先着順)

【入場料】4,000円(税込)(玉串料、遊就館拝観チケット代含む) ※事前振り込み
※ライブ配信・アーカイブ配信もあります(3,000円)

【申込方法】下記のURL専用フォームよりお申込みください。
https://forms.gle/pnha2ka4Q53QY1Lt7

※申込後にお送りいたします「入場予約券」に、入場料の振込方法等を記載しておりますので、ご確認の上、事前にお振込みください。当日は、受付に「入場予約券」をご提示ください。

【主催・お問合せ先】寺子屋「玉川未来塾」
E-mail : tamagawamiraijuku@gmail.com
いみじくも本日は沖縄本土復帰から53年目。「平和で豊かな沖縄」のためにも、今回のイベントが皆様にとって意義あるものでありますように。
皆様のお申し込みを心からお待ち申し上げます。
2025.05.15 15:18 | 固定リンク | イベント
過剰なメディア報道に思うこと
2025.04.28
時代は変化し、道徳的に当時は許されていた行為が、現在において許されないことも多く存在する。今では人権を尊重するあまり、過去の行為が今において裁かれ、謝罪する者も少なくない。その当時は、大きな話題にもならなかった行為が、改めてクローズアップされ、その人物達テレビ画面から消えていく。確かに、法に触れる行為であれば別であるかもしれない。しかし、過剰に反応する報道が目に付くし、どうして今の価値観で照らし合わせて、過剰に断罪し、報道しなくてはいけないのだろうかと思うこともしばしばある。

「遡及処罰の禁止(刑法39条)」という法律がある。過去の刑事事件を今の刑法に当てはめて裁いてはいけない法律で、過去の刑事事件を現在の刑法に当てはめて裁くことが許されないのは、主に以下の理由からである。

1. 遡及処罰の禁止(刑法39条)
•憲法(日本国憲法第39条)にも保障された重要な原則。
•ある行為が行われた時点では犯罪でなかったものを、後から法律を制定・改正して処罰することは、法の安定性や国民の法的予測可能性を著しく害する。
•人々は、その時点の法律に基づいて行動しているので、後から遡って処罰されることは不当である。

2. 行為時の法律によるべき原則(刑法6条)
•刑法第6条は、「犯罪の成否及び刑罰は、行為の時における法律による」と定めている。
•これは、遡及処罰の禁止を具体的に刑法で規定したものである。
•過去の行為は、その当時有効であった法律に基づいて判断されるべきであり、後の法律によって評価を変えるべきではない。

3. 法の安定性と予測可能性の確保
•もし過去の行為が後から制定・改正された法律で裁かれる可能性があるとすれば、人々は将来どのような行為が犯罪になるのか予測できなくなり、社会生活の安定を損なう。
•法律は、社会のルールとして明確に定められ、人々がそのルールに基づいて行動できるようにする必要がある。

4. 人権保障
•遡及処罰は、個人の自由や権利を不当に侵害する可能性がある。
•行為時に適法であった行為が、後になって犯罪とされ、処罰されることは、個人の法的安定感を大きく揺るがし、国家による恣意的な刑罰を招く恐れがある。

例えば、1900年には犯罪ではなかった行為が、2025年の刑法改正によって新たに犯罪と定められたとすると、この場合、1900年に行ったその行為を、2025年の刑法に基づいて処罰することは許されない。ただし、例外的に、行為後の法律が行為時の法律よりも軽い場合に限り、新しい法律を適用することが認められている(刑法6条但書)。これは、刑罰がより軽くなる場合にまで遡及処罰の禁止を貫く必要はないと考えられるためである。

このように、過去の刑事事件を現在の刑法に当てはめて裁くことは、法の基本原則である遡及処罰の禁止や行為時の法律によるべき原則に反し、法の安定性、予測可能性、そして人権保障の観点からも許されないのである。
上記にあるように、「もし過去の行為が後から制定・改正された法律で裁かれる可能性があるとすれば、人々は将来どのような行為が犯罪になるのか予測できなくなり、社会生活の安定を損なう」とあるのはもっともなことである。そして、「遡及処罰は、個人の自由や権利を不当に侵害する可能性がある」とするのも頷けることである。

昨今の報道は、週刊文春をはじめマスコミ各社がこぞって過去の行いや振る舞い、それも10年前後、それ以上前のことを過剰に、しかも徹底的に追及する報道を目にする。刑事事件ではないかもしれないが、そういった報道を目にするにつれ、たまらなく違和感を感じる。確かにやってはいけない振る舞いや行為を許すことはできないであろう。しかし、刑事罰でないかもしれないが、行き過ぎた報道は、いずれ読者を視聴者を無くす要因になると思ってならない。「オールドメディアは、世論を作っているのは我々である」と思っているかもしれないが、今では、SNSでも正しい情報を録ることはことができる。恣意的な報道と分かれば、メディアの信頼は失墜するのは自然の理。メディアの在り方が問われている昨今、今一度メディアは、おかれた役割が、今と昔では少しづつ変わっていることがあるということ自覚し、考え、報道してもらいたいと思う。いずれはしっぺ返しに遭うことを忘れてはならないと考える。
2025.04.28 10:03 | 固定リンク | その他

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