高市政権を貶めようとする野党とメディア
2025.11.26
今、高市政権になってからの国会答弁が面白い。野党の質問に対する与党の返しが適格で、国民民主党、参政党の本当に国民の事を考えた、無駄がない質問も多い。国民民主党の榛葉賀津也幹事長は12日、参院予算委員会で、所得税の最低課税基準である「年収の壁」の引き上げや、自動車関連税の見直し、トラックドライバーの待遇改善、拉致問題解決に向けたアメリカとの連携など幅広いテーマで質疑を展開。とくに「年収の壁」の引き上げについて、高市氏から前向きな答弁を引き出すなどの場面もみられた。また参政党の安藤裕参議院議員は14日の参院予算委員会で、消費税を賃上げ妨害税と位置づけ廃止を主張し、身を切る改革はデフレに繋がることと、消費税の本質をわかりやすく伝えてくれた。
しかし、一方では立憲民主党や共産党のくだらない、失言を誘発させようとする見え見えの質問には辟易する。立憲民主党の岡田克也衆議院議員は衆院予算委員会で、外交問題について質問で、「どういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか」と何度か尋ね、最終的に高市首相が「武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態に当たる可能性が高い」と発言していた。岡田議員自ら台湾有事を持ち出し、自らバシー海峡封鎖と場面を限定して更問いし、繰り返し存立危機事態になる場面を述べよと迫っている。岡田議員の質問は、民主党政権時に外相まで務めた政治家の発言とは思えない。その上で、明白になったのは、「曖昧にするな」という質問をしておいて「曖昧にせずけしからん」という立憲民主党の矛盾体質に結局、何を引き出したかったのか。
また、20日、小泉進次郎防衛相らが出席した参議院の外交防衛委員会において、台湾有事をめぐる問題や、防衛費の「透明性」について、共産党・山添拓参院議員と議論を交わす場面があったが、山添氏は質問で政府がGDP比2%まで軍事費を増やす目標や、軍事費がかつてなく急増している状況を踏まえ、説明がきちんとされていないことを指摘。「軍事対軍事の対抗は終わりがなく、むしろ緊張を高め安全保障の悪化を招きます」と述べたうえで、「どこにどれだけの弾薬を持ち、ミサイルを配備するのかその説明だって十分されていません。日本で透明な説明なんて到底されておりません」と小泉氏へ回答を求めたが、小泉氏は、「具体的な自衛隊の運用に関わることを、詳細に明らかにすることは我が国の利益にならない。安全保障の“常識”ではないでしょうか」とバッサリ。さらに「中国はどこにどの武器が配備されているかを、透明性高く言ってるんでしょうか。まったく言っておりません」と続け、「それを踏まえたうえで、それでもなお日本の安全保障環境が厳しくなる中で、適切な抑止力と対処力を強化していく必要性を、透明性高く国民に説明することは重要」と答えていた。まっとうな答えである。どうして、相手に自国の安全保障をさらけ出すような質問をするのか。しかも、共産党側は答えていないと言う。呆れて物も言えない。
これらは、高市政権陣営からの失言を醸し出し、揚げ足を取り、与党を貶めようとする意図が見え見えなのである。
一部のメディアの報道の仕方も問題で、首をかしげることが多い。特に高市早苗首相の台湾有事を巡る発言について。
朝日新聞は当初、11月7日の衆院予算委員会での高市首相の答弁について〈高市首相、台湾有事「存立危機事態になりうる」認定なら武力行使も〉との見出しで速報した。これに反応したのが中国の駐大阪総領事・薛剣(せつけん)氏。11月8日にXで〈勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟が出来ているのか〉と「殺害予告」投稿をした。ところが、薛剣氏が引用したはずの朝日新聞デジタル版は〈認定なら武力行使も〉が〈武力行使の発生時〉に見出しが変わっていた。元エース記者でキヤノン戦略研究所上席研究員の峯村健司氏がこれを問題視し、「かなり深刻な『訂正』かと」と批判し、「これはダメだろ」と一刀両断した。しらっと見出しを変える朝日新聞。
また、中国政府が高市早苗首相の台湾有事を巡る発言への批判や経済的威圧を強めているが、共産党支配の専制国家の本性をさらけだすものであり、中国政府は首相発言の撤回要求や経済的威圧をやめるべきであると考える。さらに、中国政府は日本産水産物の輸入を再停止したこと、自国民へ日本渡航の自粛も求めたが、中国外務省報道官は高市首相の発言が「中国民衆の強い怒りを招いた」とし「日本の水産品を中国に輸出しても市場はないだろう」と言い放ったことについて、小野田紀美経済安全保障担当相が「何か気に入らないことがあったらすぐに経済的威圧をしてくるところに依存しすぎることはリスクがある」と述べたのは当然であり、今の対中経済関係、交流は見直さざるをえないし、中国依存の経済体制はもうやめるべきだとも思う。
これらの報道の中で、日本産水産品の輸出で日本が大変だという報道ばかり目にする。中国側も大打撃なのだ。しかも、中国経済は下降線を辿る中で、こうした処置は、中国経済にも大きな損失が生じる。日本のマイナスな情報しか報道せず、一方、中国経済においても損失が大きいことを何故、メディアは報道しないのか。また、中国人によるオーバーツーリズムに不満を募らせる日本人の心情は、行儀の悪い観光客が減ると喜ぶ日本人が多くいることもあまり報道しない。こうした事実を中国政府は知らないのか。小野田経済安全保障担当相が言うように、中国に頼る経済活動はもう考えた方が良い。中国にとって不都合があると、経済的威圧、軍事的威圧をする。そういった悩ましい近隣国なのである。リスクが大きい中国だけに頼る経済活動はもうやめよと、どうしてこうした報道がされないのか。疑義である。
こうした状況だが、高市政権の支持率は下がっていない。
産経新聞とFNNは、高市政権発足から1カ月たった22日と23日の週末に世論調査を実施した結果、内閣の支持率は75.2%で、依然として高い支持率を保っている。
また、毎日新聞は22、23の両日、全国世論調査を実施し、高市早苗内閣の支持率は10月25、26日に行った前回調査と同じ65%。不支持率も23%(前回22%)とほぼ横ばいだった。若年層を中心に高い支持率を維持しているといった報道だ。
読売新聞社が21~23日に実施した全国世論調査では、高市内閣の支持率は72%で、前回緊急調査(10月21~22日)の71%からほぼ横ばい。不支持率は17%(前回18%)。発足直後の調査(1978年発足の大平内閣以降)で高い支持率となった歴代内閣で、翌月の調査時に上昇、または横ばいだった小泉、第2次安倍内閣などと並んで高い水準を保っていると報道した。
建設的な野党があれば、立憲民主党、共産党など、揚げ足取りの、貶めようとしている野党はもう意味がない。というかもう要らないと感じてならない。そして、それらを後押しするかのようなメディアももう懲り懲りである。そんなことを思う昨今である。
しかし、一方では立憲民主党や共産党のくだらない、失言を誘発させようとする見え見えの質問には辟易する。立憲民主党の岡田克也衆議院議員は衆院予算委員会で、外交問題について質問で、「どういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか」と何度か尋ね、最終的に高市首相が「武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態に当たる可能性が高い」と発言していた。岡田議員自ら台湾有事を持ち出し、自らバシー海峡封鎖と場面を限定して更問いし、繰り返し存立危機事態になる場面を述べよと迫っている。岡田議員の質問は、民主党政権時に外相まで務めた政治家の発言とは思えない。その上で、明白になったのは、「曖昧にするな」という質問をしておいて「曖昧にせずけしからん」という立憲民主党の矛盾体質に結局、何を引き出したかったのか。
また、20日、小泉進次郎防衛相らが出席した参議院の外交防衛委員会において、台湾有事をめぐる問題や、防衛費の「透明性」について、共産党・山添拓参院議員と議論を交わす場面があったが、山添氏は質問で政府がGDP比2%まで軍事費を増やす目標や、軍事費がかつてなく急増している状況を踏まえ、説明がきちんとされていないことを指摘。「軍事対軍事の対抗は終わりがなく、むしろ緊張を高め安全保障の悪化を招きます」と述べたうえで、「どこにどれだけの弾薬を持ち、ミサイルを配備するのかその説明だって十分されていません。日本で透明な説明なんて到底されておりません」と小泉氏へ回答を求めたが、小泉氏は、「具体的な自衛隊の運用に関わることを、詳細に明らかにすることは我が国の利益にならない。安全保障の“常識”ではないでしょうか」とバッサリ。さらに「中国はどこにどの武器が配備されているかを、透明性高く言ってるんでしょうか。まったく言っておりません」と続け、「それを踏まえたうえで、それでもなお日本の安全保障環境が厳しくなる中で、適切な抑止力と対処力を強化していく必要性を、透明性高く国民に説明することは重要」と答えていた。まっとうな答えである。どうして、相手に自国の安全保障をさらけ出すような質問をするのか。しかも、共産党側は答えていないと言う。呆れて物も言えない。
これらは、高市政権陣営からの失言を醸し出し、揚げ足を取り、与党を貶めようとする意図が見え見えなのである。
一部のメディアの報道の仕方も問題で、首をかしげることが多い。特に高市早苗首相の台湾有事を巡る発言について。
朝日新聞は当初、11月7日の衆院予算委員会での高市首相の答弁について〈高市首相、台湾有事「存立危機事態になりうる」認定なら武力行使も〉との見出しで速報した。これに反応したのが中国の駐大阪総領事・薛剣(せつけん)氏。11月8日にXで〈勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟が出来ているのか〉と「殺害予告」投稿をした。ところが、薛剣氏が引用したはずの朝日新聞デジタル版は〈認定なら武力行使も〉が〈武力行使の発生時〉に見出しが変わっていた。元エース記者でキヤノン戦略研究所上席研究員の峯村健司氏がこれを問題視し、「かなり深刻な『訂正』かと」と批判し、「これはダメだろ」と一刀両断した。しらっと見出しを変える朝日新聞。
また、中国政府が高市早苗首相の台湾有事を巡る発言への批判や経済的威圧を強めているが、共産党支配の専制国家の本性をさらけだすものであり、中国政府は首相発言の撤回要求や経済的威圧をやめるべきであると考える。さらに、中国政府は日本産水産物の輸入を再停止したこと、自国民へ日本渡航の自粛も求めたが、中国外務省報道官は高市首相の発言が「中国民衆の強い怒りを招いた」とし「日本の水産品を中国に輸出しても市場はないだろう」と言い放ったことについて、小野田紀美経済安全保障担当相が「何か気に入らないことがあったらすぐに経済的威圧をしてくるところに依存しすぎることはリスクがある」と述べたのは当然であり、今の対中経済関係、交流は見直さざるをえないし、中国依存の経済体制はもうやめるべきだとも思う。
これらの報道の中で、日本産水産品の輸出で日本が大変だという報道ばかり目にする。中国側も大打撃なのだ。しかも、中国経済は下降線を辿る中で、こうした処置は、中国経済にも大きな損失が生じる。日本のマイナスな情報しか報道せず、一方、中国経済においても損失が大きいことを何故、メディアは報道しないのか。また、中国人によるオーバーツーリズムに不満を募らせる日本人の心情は、行儀の悪い観光客が減ると喜ぶ日本人が多くいることもあまり報道しない。こうした事実を中国政府は知らないのか。小野田経済安全保障担当相が言うように、中国に頼る経済活動はもう考えた方が良い。中国にとって不都合があると、経済的威圧、軍事的威圧をする。そういった悩ましい近隣国なのである。リスクが大きい中国だけに頼る経済活動はもうやめよと、どうしてこうした報道がされないのか。疑義である。
こうした状況だが、高市政権の支持率は下がっていない。
産経新聞とFNNは、高市政権発足から1カ月たった22日と23日の週末に世論調査を実施した結果、内閣の支持率は75.2%で、依然として高い支持率を保っている。
また、毎日新聞は22、23の両日、全国世論調査を実施し、高市早苗内閣の支持率は10月25、26日に行った前回調査と同じ65%。不支持率も23%(前回22%)とほぼ横ばいだった。若年層を中心に高い支持率を維持しているといった報道だ。
読売新聞社が21~23日に実施した全国世論調査では、高市内閣の支持率は72%で、前回緊急調査(10月21~22日)の71%からほぼ横ばい。不支持率は17%(前回18%)。発足直後の調査(1978年発足の大平内閣以降)で高い支持率となった歴代内閣で、翌月の調査時に上昇、または横ばいだった小泉、第2次安倍内閣などと並んで高い水準を保っていると報道した。
建設的な野党があれば、立憲民主党、共産党など、揚げ足取りの、貶めようとしている野党はもう意味がない。というかもう要らないと感じてならない。そして、それらを後押しするかのようなメディアももう懲り懲りである。そんなことを思う昨今である。
高市政権と反日メディア
2025.10.27
高市早苗政権が誕生した。公明党離脱、日本維新の会との連立など、難産の中での船出ではあるが、心から嬉しく思う。
その中で、10月24日の所信表明演説で、安倍晋三元首相が好んだ言葉を引用して「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」と語った。また、安倍氏が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」に関し「外交の柱として引き続き力強く推進し、時代に合わせて進化させていく」と訴えた。安倍外交を手本とし、回帰する姿勢を打ち出した。
また、「高市官邸」の人事も象徴的だ。事務方で外交・安保の司令塔となる国家安全保障局長に就いた市川恵一氏。「自由で開かれたインド太平洋」の構想作りに外務省幹部として関わった人物で、今月発令されたばかりのインドネシア大使就任を覆す異例の抜擢人事だ。
さらには、国家安全保障と核軍縮・不拡散問題担当の首相補佐官に、航空自衛隊の北部航空方面隊司令官や補給本部長などを歴任した尾上定正元空将を起用した。これに対し、自民党の長島昭久元首相補佐官は自身のXで「尾上将軍とは、私がワシントンで外交問題評議会の研究員をしていた約30年前に初めてお目にかかり、その戦略的思考に瞠目させられました。高市総理の信頼も厚く、素晴らしい活躍をされることと確信しております」と投稿した。
官邸の要は、安倍政権で国家安全保障担当の首相補佐官を務めた木原稔官房長官。自由民主党、維新の党(2016年3月末解散)、新党改革(2016年7月末解散)の3党と無所属の国会議員などから構成され、現在、自民党議員を中心に約100名の国会議員が参加している創生「日本」の事務局長なども務め、高市首相の絶対的な信頼をおける人物が官房長官を歴任する。その木原氏は24日の記者会見で「安倍氏が掲げた方針をもう一度、日本外交の柱と再認識する」と述べた。
そして、財務相に片山さつき元地方創生担当相を起用したのは注目に値する。片山氏は大蔵省(現財務省)出身で、平成16年に女性初の主計官を務め、自民総裁選では高市氏を推薦人として支えた。現在は、党内きっての積極財政派でもあり、高市新内閣の経済政策重視の姿勢に対する財務相としての手腕を期待する。また、財務官僚たちは片山財務相の後輩にあたる者達が多いはず。財務省幹部やりづらいだろうと思う。
その他にも注目人事は多く、また、政策も石破政権時では考えられないほどに、日本の将来の好転を期待する案件も多い。
しかし、一方では、まだスタートしたばかりの高市早苗内閣に対する反日メディアの反発がすごい。以下、産経新聞の記事を引用させてもらうが、朝日新聞は首相選出翌日の社説で「高市内閣発足急進的な『改革』姿勢への危惧」との見出しで、「外交・安全保障や憲法改正、外国人政策などでタカ派色の強い政策が並んだ。戦後の日本の歩みをさらに大きく転換させようとするもので、強い危惧を抱かざるを得ない」と断じた。いきなり「タカ派」のレッテル張りだ。そして社説は「少数与党となった自民の新総裁に就任した高市氏は、公明党の連立離脱もあり、首相指名を確実にするため、なりふり構わぬ多数派工作に走った」と続く。立憲民主などの野党も「なりふり構わぬ多数派工作」を続けていたことは朝日も記事にしていたはずだが、そんな矛盾もダブルスタンダードもお構いなしだ。要するに対決姿勢満々であり、読者にアピールするようにファイティングポーズを決めているのだろう。憲法改正や防衛、外交、スパイ防止法から外国人政策まで、高市氏が次々と打ち出す政策が反日メディアにことごとく反対されることは想像に難くない。政治資金収支報告書の不記載議員にいつまでも「裏金」のレッテルを張り、野党の不記載についてはほとんど触れないのもその流れだろう。閣内に7人の「裏金議員」がいるとばかりが報道され、その議員の政策や人物などには、ほとんど触れない。
幸いにも高市内閣の支持率は軒並み7割前後となり、岸田文雄、石破茂政権の発足時を大きく上回っている。「少数与党では限界がある」などと政権運営を一見心配するような声もよくあるが、そもそも衆参両院で与党を過半数割れさせたのは高市首相でなく、石破前首相である。この点もメディアはあまり触れたがらない。これが逆の順序であれば、「前政権の負の遺産」などと言っていつまでも尾を引かせたことだろう。要するに、何をしようが、何をやらないでいようが、今後の高市政権は批判されるのだ。「裏金議員」を政府に入れたら「反省がない」と言われるし、入れなくても「見せかけの改革」「派閥に配慮」などと言われるだけだろうから何をしても一緒である。支持率を見ても、国民は明らかに高市政権に期待している。その期待に応えられてしまい、高市氏の「クビ」を取れなかったとなると、反日メディアは今度こそ立ち直れないほどのダメージを受けるだろう。
歴史を遡れば、朝日新聞社は「十月革命」と呼ばれる体制刷新が起きる。昭和20(1945)年10月24日付紙面で「朝日新聞革新/戦争責任明確化/民主主義体制実現/社長、会長以下重役総辞職」と見出しをつけ以下のように伝えた。
「新聞の戦争責任については終戦直後より朝日新聞社内において種々真剣に議論が重ねられて来たが、今般村山社長、上野取締役会長ら本社最高首脳部側も慎重協議の結果、二十二日夜にいたり朝日新聞の戦争責任を明確ならしむるため社長、会長は自発的に社主の地位に退き、全重役は一斉に辞任することに方針を決定した。これとともに社内の民主主義体制を確立するために全従業員の総意を反映する機関を設置することになり、ここに朝日新聞は完全なる脱皮を遂げて、新しき日本の建設過程にあって言論機関が果たすべき重大使命に邁進することになった(後略)」。
朝日新聞は村山長挙社長が退いたあと、社員による役員選出というかたちをとって長谷部忠を社長にしたが、これは一種の組合管理に近いもので、戦後、朝日新聞の研修所長をつとめた本郷美則氏は、「朝日に赤い旗が立った最初」で「占領政策を推し進めたGHQにも革新派がいて、これと呼応して朝日新聞の左傾路線が始まったのである。
戦後、GHQによるWGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)により今日至るまで、いびつな言語空間となっている。GHQは、放送、新聞、雑誌、書籍、映画、演劇、紙芝居等々、あらゆるメディアに対して徹底した検閲を行い、占領政策の目的と実施に不都合な情報や言論はすべて統制され、日本語の言語空間、情報空間が占領に好都合なように執拗に変形されていったのが事実である。その結果、自主検閲となってからの現在も、その反日たらしめる言語空間を継承しているメディアは少なくなく、こうした状況は、朝日新聞だけに限らず、毎日新聞、東京新聞、NHK、テレビ朝日、TBS、共同通信などの日本を貶めようと主張する反日メディアにおける偏向報道が執拗になされているのである。
戦後すぐにつくられた化石のような閉ざされた言語空間の中に、反日マスコミ、オールドメディアはしがみつきながら「自分らは正しい情報を流している」と自己検閲をしながら報道をし続けている。現在は、SNSなどの新しいツールを手に入れた国民は、メディアが放つ報道が本物か偽物かを見極められるようになった。印象操作だけのつじつまの合わない攻撃はもう通用しないし、これでは、国民はなびかない。
メディアは「ある一定の目的を持って報道」する。その「ある一定の目的」とは何か。それを遠くから眺め、客観的に見て、その「ある一定の目的」を見極めることが大切である。言えることは、反日メディアには愛すべき、守るべき「日本」はない。そうしたことを念頭に、これからの高市政権に対する報道を見極め、そして、絶妙に事実に対して、プロパガンダを刷り込んでくる報道、立憲民主党のような日本を貶めようとする反対勢力の言動、行動に着目し、客観的に物事を判断すべきであるのと同時に惑わされない正しい真実でもって考えていくことが必要であると思うのである。
参考資料:産経新聞、『反日メディアの正体』(上島嘉郎著)、『閉ざされた言語空間』(江藤淳著)
その中で、10月24日の所信表明演説で、安倍晋三元首相が好んだ言葉を引用して「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」と語った。また、安倍氏が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」に関し「外交の柱として引き続き力強く推進し、時代に合わせて進化させていく」と訴えた。安倍外交を手本とし、回帰する姿勢を打ち出した。
また、「高市官邸」の人事も象徴的だ。事務方で外交・安保の司令塔となる国家安全保障局長に就いた市川恵一氏。「自由で開かれたインド太平洋」の構想作りに外務省幹部として関わった人物で、今月発令されたばかりのインドネシア大使就任を覆す異例の抜擢人事だ。
さらには、国家安全保障と核軍縮・不拡散問題担当の首相補佐官に、航空自衛隊の北部航空方面隊司令官や補給本部長などを歴任した尾上定正元空将を起用した。これに対し、自民党の長島昭久元首相補佐官は自身のXで「尾上将軍とは、私がワシントンで外交問題評議会の研究員をしていた約30年前に初めてお目にかかり、その戦略的思考に瞠目させられました。高市総理の信頼も厚く、素晴らしい活躍をされることと確信しております」と投稿した。
官邸の要は、安倍政権で国家安全保障担当の首相補佐官を務めた木原稔官房長官。自由民主党、維新の党(2016年3月末解散)、新党改革(2016年7月末解散)の3党と無所属の国会議員などから構成され、現在、自民党議員を中心に約100名の国会議員が参加している創生「日本」の事務局長なども務め、高市首相の絶対的な信頼をおける人物が官房長官を歴任する。その木原氏は24日の記者会見で「安倍氏が掲げた方針をもう一度、日本外交の柱と再認識する」と述べた。
そして、財務相に片山さつき元地方創生担当相を起用したのは注目に値する。片山氏は大蔵省(現財務省)出身で、平成16年に女性初の主計官を務め、自民総裁選では高市氏を推薦人として支えた。現在は、党内きっての積極財政派でもあり、高市新内閣の経済政策重視の姿勢に対する財務相としての手腕を期待する。また、財務官僚たちは片山財務相の後輩にあたる者達が多いはず。財務省幹部やりづらいだろうと思う。
その他にも注目人事は多く、また、政策も石破政権時では考えられないほどに、日本の将来の好転を期待する案件も多い。
しかし、一方では、まだスタートしたばかりの高市早苗内閣に対する反日メディアの反発がすごい。以下、産経新聞の記事を引用させてもらうが、朝日新聞は首相選出翌日の社説で「高市内閣発足急進的な『改革』姿勢への危惧」との見出しで、「外交・安全保障や憲法改正、外国人政策などでタカ派色の強い政策が並んだ。戦後の日本の歩みをさらに大きく転換させようとするもので、強い危惧を抱かざるを得ない」と断じた。いきなり「タカ派」のレッテル張りだ。そして社説は「少数与党となった自民の新総裁に就任した高市氏は、公明党の連立離脱もあり、首相指名を確実にするため、なりふり構わぬ多数派工作に走った」と続く。立憲民主などの野党も「なりふり構わぬ多数派工作」を続けていたことは朝日も記事にしていたはずだが、そんな矛盾もダブルスタンダードもお構いなしだ。要するに対決姿勢満々であり、読者にアピールするようにファイティングポーズを決めているのだろう。憲法改正や防衛、外交、スパイ防止法から外国人政策まで、高市氏が次々と打ち出す政策が反日メディアにことごとく反対されることは想像に難くない。政治資金収支報告書の不記載議員にいつまでも「裏金」のレッテルを張り、野党の不記載についてはほとんど触れないのもその流れだろう。閣内に7人の「裏金議員」がいるとばかりが報道され、その議員の政策や人物などには、ほとんど触れない。
幸いにも高市内閣の支持率は軒並み7割前後となり、岸田文雄、石破茂政権の発足時を大きく上回っている。「少数与党では限界がある」などと政権運営を一見心配するような声もよくあるが、そもそも衆参両院で与党を過半数割れさせたのは高市首相でなく、石破前首相である。この点もメディアはあまり触れたがらない。これが逆の順序であれば、「前政権の負の遺産」などと言っていつまでも尾を引かせたことだろう。要するに、何をしようが、何をやらないでいようが、今後の高市政権は批判されるのだ。「裏金議員」を政府に入れたら「反省がない」と言われるし、入れなくても「見せかけの改革」「派閥に配慮」などと言われるだけだろうから何をしても一緒である。支持率を見ても、国民は明らかに高市政権に期待している。その期待に応えられてしまい、高市氏の「クビ」を取れなかったとなると、反日メディアは今度こそ立ち直れないほどのダメージを受けるだろう。
歴史を遡れば、朝日新聞社は「十月革命」と呼ばれる体制刷新が起きる。昭和20(1945)年10月24日付紙面で「朝日新聞革新/戦争責任明確化/民主主義体制実現/社長、会長以下重役総辞職」と見出しをつけ以下のように伝えた。
「新聞の戦争責任については終戦直後より朝日新聞社内において種々真剣に議論が重ねられて来たが、今般村山社長、上野取締役会長ら本社最高首脳部側も慎重協議の結果、二十二日夜にいたり朝日新聞の戦争責任を明確ならしむるため社長、会長は自発的に社主の地位に退き、全重役は一斉に辞任することに方針を決定した。これとともに社内の民主主義体制を確立するために全従業員の総意を反映する機関を設置することになり、ここに朝日新聞は完全なる脱皮を遂げて、新しき日本の建設過程にあって言論機関が果たすべき重大使命に邁進することになった(後略)」。
朝日新聞は村山長挙社長が退いたあと、社員による役員選出というかたちをとって長谷部忠を社長にしたが、これは一種の組合管理に近いもので、戦後、朝日新聞の研修所長をつとめた本郷美則氏は、「朝日に赤い旗が立った最初」で「占領政策を推し進めたGHQにも革新派がいて、これと呼応して朝日新聞の左傾路線が始まったのである。
戦後、GHQによるWGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)により今日至るまで、いびつな言語空間となっている。GHQは、放送、新聞、雑誌、書籍、映画、演劇、紙芝居等々、あらゆるメディアに対して徹底した検閲を行い、占領政策の目的と実施に不都合な情報や言論はすべて統制され、日本語の言語空間、情報空間が占領に好都合なように執拗に変形されていったのが事実である。その結果、自主検閲となってからの現在も、その反日たらしめる言語空間を継承しているメディアは少なくなく、こうした状況は、朝日新聞だけに限らず、毎日新聞、東京新聞、NHK、テレビ朝日、TBS、共同通信などの日本を貶めようと主張する反日メディアにおける偏向報道が執拗になされているのである。
戦後すぐにつくられた化石のような閉ざされた言語空間の中に、反日マスコミ、オールドメディアはしがみつきながら「自分らは正しい情報を流している」と自己検閲をしながら報道をし続けている。現在は、SNSなどの新しいツールを手に入れた国民は、メディアが放つ報道が本物か偽物かを見極められるようになった。印象操作だけのつじつまの合わない攻撃はもう通用しないし、これでは、国民はなびかない。
メディアは「ある一定の目的を持って報道」する。その「ある一定の目的」とは何か。それを遠くから眺め、客観的に見て、その「ある一定の目的」を見極めることが大切である。言えることは、反日メディアには愛すべき、守るべき「日本」はない。そうしたことを念頭に、これからの高市政権に対する報道を見極め、そして、絶妙に事実に対して、プロパガンダを刷り込んでくる報道、立憲民主党のような日本を貶めようとする反対勢力の言動、行動に着目し、客観的に物事を判断すべきであるのと同時に惑わされない正しい真実でもって考えていくことが必要であると思うのである。
参考資料:産経新聞、『反日メディアの正体』(上島嘉郎著)、『閉ざされた言語空間』(江藤淳著)
学校教育の在り方への疑問
2025.09.28
「中央教育審議会の作業部会が、デジタル教科書を正式な教科書と位置付ける案を了承した」。
先日、産経新聞に掲載された記事だが、令和12年度から学校の授業で使用される見通しというが、産経新聞にも書いてあったように、子供の学力低下につながらないか、不安を拭えない。
産経新聞によると「パソコンやタブレット端末で表示するデジタル教科書は、紙の教科書に比べて集中力が落ち、記憶に残りにくいという指摘がある。海外では、デジタル教材の推進国が学力低下などを理由に、紙の教材に回帰する動きも出ている」とあり、さらに「教科書は学びの中心だ。デジタル化により基礎基本の読解力などが低下したら本末転倒である。文部科学省は正式な教科書にする前に、学力に及ぼす影響を厳密に検証すべきだ。不安を抱えたまま、デジタル化を急ぐことには反対である」と結論づけている。大きく賛同する。
そして「中教審の作業部会が了承した案は、教科書の形態を、①現行の紙②デジタル③紙とデジタルの組み合わせ(ハイブリッド)の3種類とし、教育委員会が選択できるようにする―というものだ。これを受け、文科省は来年の通常国会で関連法案の改正を目指すという。少し前のめりになっているのではないか。デジタル教科書には英会話を音声で繰り返し聞けたり、算数などで図形を動かせたりして学習意欲を高めるメリットがあるとされる。一方、画面が動くために集中力が途切れたり、視力が低下したりする懸念もある。こうしたデメリットについて、作業部会が十分に検証したとはいいがたい。少なくとも小学校の低学年から導入すべきではないだろう。スウェーデンでは、2010年から教育のデジタル化を積極的に推進してきたが、近年の国際学力調査で成績が低下したことなどを受け、22年から紙の教材を重視する政策に転換した。フィンランドでも一部地域で、デジタル教材を紙に戻す動きがみられる。文科省は関連法を改正する前に、こうした海外の状況も分析し、子供の発達段階をふまえた制度にしてもらいたい。紙とデジタルのバランスも重要だ。全国学力テストを基にした文科省の調査では、家庭の蔵書量が少ないほど成績が低下する傾向があることも分かった。紙で読み書きすることの大切さを忘れてはならない」。(以上、産経新聞より)
知人の小学校教師によると、タブレットによる授業で、その操作のイライラからタブレットを壊す生徒もいるという。また、昨今では、発達障害の生徒や、発達障害のグレーゾーンの生徒も多くなっており、昔と今とでは子供の状態や在り方も変わってきている。私も小学生と毎月100人以上関わっているが、学年にもよるが年々、手間がかかる生徒が増えている。その中で、デジタル教科書がこうした子供たちの成長発展につながるとはとても思えないのである。
英語教育についても異論がある。「小学校の英語は必要ない」という意見は多数あるうちの私もひとり。
2020年度からの学習指導要領で英語が必修化された背景には、グローバル化する社会で「英語がコミュニケーションツールとして重要」であり、「国際理解を促進する」という目的があるためだと言うが、母国語の日本語を十分に学びきらないうちに英語教育をすることに、違和感を覚えてならない。
本当に必要な子供たちは、英会話スクールに通うし、そういう子供たちは多い。ただでさえ、国語の授業時間が減り、書写の授業も減り、ましてや、かきぞめを行わない学校も増えてきている現状において、公的な学校教育では、日本語教育に力を入れるべきであると考える。
この他、英語教育へのデミリットとして、英語の学習ばかりに注力すると、自国の文化や言葉が軽視される可能性を危惧するという意見もある。
小学校での英語学習は、将来を生き抜くための重要なスキルとなる可能性が高いが、すべての子供に同じように適用できるわけではない。家庭の教育方針や子どもの興味関心を考慮し、日本語の習得や文化への配慮も行いながら行うべきで、英語が必要だと考えるならば、海外留学をすべきである。本当に英語をマスターするならば、社会生活の中で常にネイティブ英語に触れなければ本当の意味でマスターすることはできない。
数学者・藤原正彦の著書『祖国とは国語』は、「国家の根幹は国語教育にある」という主張を展開している。著者は、日本の国語教育の衰退が日本社会全体の危機につながっていると警告し、すべての知的活動の基礎となる国語教育を再構築するべきだと説いている。
その主なテーマは、「国語教育絶対論」が本書の中核をなすテーマで、以下の5つの柱で構成されている。
1.国語はすべての知的活動の基礎:数学を含むすべての学習の基盤には、国語の読解力や表現力があると主張する。
2.国語は論理的思考を育む:筋道を立てて考え、表現する力は、国語の学習を通して身につくと論じている。
3.国語は情緒を培う:豊かな言葉に触れることで、繊細な情緒や感情が育まれるとしている。
4.祖国とは国語である:祖国とは単なる血や国土ではなく、文化、伝統、情緒といったものが内包された「言葉」そのものであると定義している。
5.日本再生の鍵:日本の再生にはまず国語教育を立て直すことが不可欠だと訴えかけている。
強く賛同するものである。
教育基本法は、教育の理念を実現するため、教育の在り方として、以下の方針を示している。
1.個人の自己実現の支援:個々の能力や創造性を最大限に伸ばし、自己実現を支援します。
2.文化の創造と発展への貢献:社会の文化を創造し、発展させることに貢献する態度を養います。
3.伝統と文化の尊重と国際社会への貢献:日本と郷土を愛し、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養います。
日本人として育っていくためにも国語教育の在り方を見直し、そしてさらに重視する必要があり、しいては日本の文化伝統の尊重を重んじる日本人の育成が不可欠で、その基礎たるものは小学校教育であると考える。
デジタル教科書、英語教育の件もそうだが、教育の本質と在り方を間違ってはいけない。
先日、産経新聞に掲載された記事だが、令和12年度から学校の授業で使用される見通しというが、産経新聞にも書いてあったように、子供の学力低下につながらないか、不安を拭えない。
産経新聞によると「パソコンやタブレット端末で表示するデジタル教科書は、紙の教科書に比べて集中力が落ち、記憶に残りにくいという指摘がある。海外では、デジタル教材の推進国が学力低下などを理由に、紙の教材に回帰する動きも出ている」とあり、さらに「教科書は学びの中心だ。デジタル化により基礎基本の読解力などが低下したら本末転倒である。文部科学省は正式な教科書にする前に、学力に及ぼす影響を厳密に検証すべきだ。不安を抱えたまま、デジタル化を急ぐことには反対である」と結論づけている。大きく賛同する。
そして「中教審の作業部会が了承した案は、教科書の形態を、①現行の紙②デジタル③紙とデジタルの組み合わせ(ハイブリッド)の3種類とし、教育委員会が選択できるようにする―というものだ。これを受け、文科省は来年の通常国会で関連法案の改正を目指すという。少し前のめりになっているのではないか。デジタル教科書には英会話を音声で繰り返し聞けたり、算数などで図形を動かせたりして学習意欲を高めるメリットがあるとされる。一方、画面が動くために集中力が途切れたり、視力が低下したりする懸念もある。こうしたデメリットについて、作業部会が十分に検証したとはいいがたい。少なくとも小学校の低学年から導入すべきではないだろう。スウェーデンでは、2010年から教育のデジタル化を積極的に推進してきたが、近年の国際学力調査で成績が低下したことなどを受け、22年から紙の教材を重視する政策に転換した。フィンランドでも一部地域で、デジタル教材を紙に戻す動きがみられる。文科省は関連法を改正する前に、こうした海外の状況も分析し、子供の発達段階をふまえた制度にしてもらいたい。紙とデジタルのバランスも重要だ。全国学力テストを基にした文科省の調査では、家庭の蔵書量が少ないほど成績が低下する傾向があることも分かった。紙で読み書きすることの大切さを忘れてはならない」。(以上、産経新聞より)
知人の小学校教師によると、タブレットによる授業で、その操作のイライラからタブレットを壊す生徒もいるという。また、昨今では、発達障害の生徒や、発達障害のグレーゾーンの生徒も多くなっており、昔と今とでは子供の状態や在り方も変わってきている。私も小学生と毎月100人以上関わっているが、学年にもよるが年々、手間がかかる生徒が増えている。その中で、デジタル教科書がこうした子供たちの成長発展につながるとはとても思えないのである。
英語教育についても異論がある。「小学校の英語は必要ない」という意見は多数あるうちの私もひとり。
2020年度からの学習指導要領で英語が必修化された背景には、グローバル化する社会で「英語がコミュニケーションツールとして重要」であり、「国際理解を促進する」という目的があるためだと言うが、母国語の日本語を十分に学びきらないうちに英語教育をすることに、違和感を覚えてならない。
本当に必要な子供たちは、英会話スクールに通うし、そういう子供たちは多い。ただでさえ、国語の授業時間が減り、書写の授業も減り、ましてや、かきぞめを行わない学校も増えてきている現状において、公的な学校教育では、日本語教育に力を入れるべきであると考える。
この他、英語教育へのデミリットとして、英語の学習ばかりに注力すると、自国の文化や言葉が軽視される可能性を危惧するという意見もある。
小学校での英語学習は、将来を生き抜くための重要なスキルとなる可能性が高いが、すべての子供に同じように適用できるわけではない。家庭の教育方針や子どもの興味関心を考慮し、日本語の習得や文化への配慮も行いながら行うべきで、英語が必要だと考えるならば、海外留学をすべきである。本当に英語をマスターするならば、社会生活の中で常にネイティブ英語に触れなければ本当の意味でマスターすることはできない。
数学者・藤原正彦の著書『祖国とは国語』は、「国家の根幹は国語教育にある」という主張を展開している。著者は、日本の国語教育の衰退が日本社会全体の危機につながっていると警告し、すべての知的活動の基礎となる国語教育を再構築するべきだと説いている。
その主なテーマは、「国語教育絶対論」が本書の中核をなすテーマで、以下の5つの柱で構成されている。
1.国語はすべての知的活動の基礎:数学を含むすべての学習の基盤には、国語の読解力や表現力があると主張する。
2.国語は論理的思考を育む:筋道を立てて考え、表現する力は、国語の学習を通して身につくと論じている。
3.国語は情緒を培う:豊かな言葉に触れることで、繊細な情緒や感情が育まれるとしている。
4.祖国とは国語である:祖国とは単なる血や国土ではなく、文化、伝統、情緒といったものが内包された「言葉」そのものであると定義している。
5.日本再生の鍵:日本の再生にはまず国語教育を立て直すことが不可欠だと訴えかけている。
強く賛同するものである。
教育基本法は、教育の理念を実現するため、教育の在り方として、以下の方針を示している。
1.個人の自己実現の支援:個々の能力や創造性を最大限に伸ばし、自己実現を支援します。
2.文化の創造と発展への貢献:社会の文化を創造し、発展させることに貢献する態度を養います。
3.伝統と文化の尊重と国際社会への貢献:日本と郷土を愛し、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養います。
日本人として育っていくためにも国語教育の在り方を見直し、そしてさらに重視する必要があり、しいては日本の文化伝統の尊重を重んじる日本人の育成が不可欠で、その基礎たるものは小学校教育であると考える。
デジタル教科書、英語教育の件もそうだが、教育の本質と在り方を間違ってはいけない。

2025.11.26 09:22
|
