心理学のフィルターを通して見える光景
2025.02.25
「価値低減傾向」という言葉をご存じだろうか。
アドラー心理学を学んでいくと出てくるセンテンスである。

「相手を落とすことで、自分は何の努力もせずに『勝つ』」ことを言う。

自分を高めるのではなく、相手を貶めることで勝者になろうとすることで、相手の悪口を言い、秘密を暴露する。悪意を込めて、相手の品位を下げようと企むのである。

この傾向は幼少期によく見られる。親や先生の愛情を奪い合うライバルである兄弟姉妹や友達の問題を、親や先生に告げ口をして、愛を奪おうとする。そして、この試みはしばしばうまくいき、そうしてこの成功に味をしめた人が、大人になってからも利用するようになる。

アルフレッド・アドラーは、この「価値低減傾向」は、相手を貶めることで、自分は何の努力もせずに、勝利を手にしようとする、卑怯で醜い行為で、「この傾向は神経症である」と言っている。

「神経症」…。
神経症とは、精神疾患と言えるほど症状が重篤ではなものの、日常生活に何らかの支障や生きづらさがあるような状態で、この症状がさらに悪化すると、精神疾患になったり、もしくは、犯罪など反社会的な行動に走ったりするとアドラーは考えたのである。

また、アドラーは「目的論」をも唱えている。
人間のあらゆる行動には、必ずその人自身の思いを伴った目的があり、この考え方を「目的論」と呼ぶ。そして、それを決定するのに自らが運命を決定している(「自己決定性」)と言うのである。

上記の「価値低減傾向」も「相手を貶め、自分が勝つ」という「目的」のため、自らの意思で「決定」するのである。
そして、それはアブラハム・マズローが唱える「欲求5段階説」と重ね合わせると、人間の心理が手に取るようにして分かる時がある。

マズローは、人間の欲求について、優先順位を備えたピラミッド型の階層として概念化を行い、それが「欲求5段階説」という考え方である。そして、この階層は、ピラミッドの下にあるものほど根源的で優先されることを意味している。また、人間は1段階目の欲求が満たされると、さらに上層の欲求を満たそうとする。

では、下の階層からいうと

1.生理的欲求
人間の生命維持に必要な活動を求める欲求
・睡眠欲、食欲、排泄欲といった本能的な欲求のこと

2.安全欲求
心身ともに安心して生活できる環境を望む欲求
・経済的に安定する賃金
・精神的なストレスがない環境
・暴力・事故・災害に遭うリスクの低さ
・健康状態の維持
・社会福祉の充実

3.社会的欲求
所属と愛情の欲求
「地域社会や会社、学校などのコミュニティに所属したい」「友人や家族、恋人と関り受容されたい」などの「帰属欲求」「相と所属の欲求」とも呼ばれる

4.承認欲求
他人から自分の才能や存在を認められたいと思う自尊心の欲求
他者から注目や賞賛を求める「低位の欲求」と高度な技能の習得で自身を評価する「高位の欲求」に分かれる

5.自己実現欲求
自己の可能性を実現したい、理想の自分になりたいと願う欲求
・幸せな家庭を築きたい
・仕事で成功をしたい
・趣味に没頭してマイペースに生きたい
など

そして、マズローは、人間は自己成長や自己実現を目指す「主体的な存在」であるとも唱えている。この考え方は、アドラーが唱える「自己決定性」とも同じであろうと考える。

社会情勢やマスコミ報道などの社会の状況を捉えてみるとどのように映り出されるのか。

マスコミ報道は「ある一定の意図をもって発信する」というのが根本にある。そしてそれは「社会や権力を監視する」という発信する側の理屈でもって成り立たせている。その裏にある「ある一定の意図」とは何であるかを、探りながらマスコミ情報を紐解く必要がある。

また、中居正広氏と被害者Ⅹの件も、このアドラー、マズローの考え方をフィルターとして見てみると、どうしてもすっきりしない事柄がある。その会合に行ったのは、どんな理由があれ「目的」と自らの「意思決定」と、そして自分しか分からいであろう「欲求」を満たすためであったのではないか。そして、それは自己責任であったのではないか。しかし、被害に遭われた被害者Ⅹには心からお見舞い申し上げるのだが、世に出ている報道から嚙み砕くと、アドラーが唱える「価値低減傾向」という考え方が当てはまって「言い得て妙」であるのではないかと思ってならない。
誰かを、会社を、何かを貶めて、自らが脚光を浴びるような出来事が、そしてそれが自身の欲求を満たすものであるように映ることが、私には「妙」に見える。

最後にアドラーはこんなことも言っている。
「神経症的な『価値低減傾向』を持つ人の末路は悲惨なものになる。「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるが、もしも自分にその傾向があるならば、その行く末の恐ろしさをよくよく思い知らなければならない」。
2025.02.25 07:24 | 固定リンク | その他
終戦80年を迎える今年への想い
2025.01.26
令和7(2025)年二黒土星中宮乙巳の年がスタートした。
今年の「二黒土星」は、努力を重ねることで物事が安定し、しっかりとした基盤を築くことができる一年を表すとのこと。
かたや今年は乙巳の年。
「乙」は五行陰陽説では、「木の陰」を表し、「未だ発展途上の状態」を意味し、「巳」は「火の陰」を表し、「植物が最大限まで成長した状態」を表す。
そして、「乙」と「巳」の関係は「相性(そうじょう)」。順送りに相手を生み出していく陽の関係を意味することから、「乙巳」はこれまでの努力や準備が実を結び始める時期を示唆し、成長と結実の時期となる可能性が高い年となるようだ。
努力の実が結ばれ成長ができるよう、精進を重ねて、邁進して参りたいと思う。
改めまして、本年もよろしくお願いいたします。

さて、終戦から80年を迎える今年は、我が国にとって極めて重要な年になる。戦後生まれの人口が9割を占めると言われる今日、戦争の記憶を次世代にどうつないでいくかということを真剣に考える大切な年となる。

靖国神社のホームページには以下のように綴られている。
「戦後生まれの人口が9割を占めると言われる今日、御祭神を直接ご存じの同世代の方々が極めて少数となる終戦80年という年は、御参拝の属性が変性していく節目として特別な意味をもつ年だと思っております。これまで神社をお支え下さった戦友と御遺族方は、特定の御祭神への『思慕』に基づき御参拝されていたものと拝察します。他方で、戦後世代による御参拝は、国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つという『理念』に基づくものとなりましょう」。

「国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つ」という心を軸に、寺子屋「玉川未来塾」としても、以下のイベントを実施していく。

①「学校では教えない日本人の物語 『島田叡』~戦中最後の沖縄県知事~」講演会
日時:6月29日(日)12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社啓照館(定員:200名)
講師:大向真司氏(キャリアコンサルティングしがくメンバー)
テーマ:「『生きろ!』~沖縄の島守からの伝言」(仮題)(60分予定) ※講演後、遊就館自由拝観

沖縄戦の混乱により県庁が解散するまでの約5ヶ月間、疎開の促進と食糧確保等、沖縄県民の生命保護に尽力。戦争が激化し、摩文仁の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「命どぅ宝、生きぬけ」と伝え、逃した戦中最後の沖縄県知事「島田叡」の生き様をお伝えする。

②「靖國神社昇殿参拝&終戦80年~これからの日本人へ」トークライブ
日時:7月27日(日) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社啓照館(定員:200名)
登壇者:柿崎ゆうじ氏(カートコーポレイトグループ代表取締役会長・映画監督)
特別ゲスト:井上和彦氏(ジャーナリスト)(予定)
ファシリテーター:葛城奈海氏(ジャーナリスト)
テーマ:「終戦80年~これからの日本人へ」(仮題)(100分予定) ※講演後、遊就館自由拝観

戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなった現在において、戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占める今日、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の思いを次代へ繋ぐべきなのか。次世代へのメッセージを込めたお話を届ける。

③第10回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベント
日時:8月23日(土) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社参集殿(定員:100名)
講師:禰宜 松本聖吾禰宜・総務部長
テーマ:「戦後80年と靖國神社」(仮題)(60分予定) ※講演後、遊就館自由拝観

これまで靖國神社を支えきた戦友と御遺族方は高齢を迎え、遺族会の活動もままならぬ状況を迎えている中、戦争を知らない世代による靖國神社への御参拝は、とても重要な意味を持つものとなる。これからの靖國神社の在り方を含め、国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つという『理念』に基づくものを繋ぐ者たちへの想いをお話する。

戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなり、戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占めるようになった今日、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の思いを次代へ繋ぐべきなのか、思い悩む昨今である。
しかし、先祖の尊い犠牲があったからこそ、日本の今日の平和があることを忘れてはならないのは当然であるとともに、先人の思いを聞いた世代が次代へと伝えていく責任があると思う次第だ。
そのような思いから、終戦80年を迎える節目の令和7年度も、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をし、そして8月のイベントでは遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ること、次代に英霊の思いを繋ぐことを目的に、以下の内容でイベントを実施する。

こうした想いが皆様方に届きますように。そして、お時間が許すならば、ぜひ、参加していただき、想いを共有していただきたいと思う。
2025.01.26 07:05 | 固定リンク | その他
終戦80年に向けて⑨~復興を担った世代の想いを胸に
2024.12.25
12月25日(水)産経WESTで「大東亜戦争を戦い、復興を担った世代が消えていく 来年の戦後80年で感謝の国会決議を」の記事を拝見したので、紹介したい。
※詳しくは以下のURLより。
https://www.sankei.com/article/20241225-4ILNU2KJJBLX7BKPHQ4OCRBM6Y/

「『今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません』
今年の『終戦の日』(8月15日)の全国戦没者追悼式で、岸田文雄首相(当時)が述べた式辞の一節だ。大東亜戦争の戦没者を追悼する行事ではこのように、戦後日本の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲の上に築かれたものであるとし、戦没者に敬意と感謝の念を表することが決まり事のようになっている(「平和」については諸論あろうが、とりあえずおいておく)。

命と引き換えに、親兄弟、妻や恋人たちを、郷土を、そして祖国を守る。そうした至純の思いにあふれた帝国陸海軍の『特別攻撃』(特攻)隊員たちの遺書を読めば、戦没者への敬意や感謝は自然と湧き上がってくる。彼らによって生かされていることが実感され、彼らの分も精いっぱい生きようという思いになる。

特攻隊員たちだけでなく、他の兵士たちの思いも『死への覚悟』があるかどうかは別として、同様に家族や祖国を守りたい、というものだっただろう。

そんな戦没者への感謝や敬意を表することには、なんの異論もない。一方で、何かが抜け落ちているような気がしてならなかったのだが、それが何かに気付いた。戦没者の思いを直接見聞きし、『平和で繁栄した祖国を』という戦没者の願いを実際にかなえた同世代の人たちのことだ。実際に、日本を焼け野原から復興させて世界有数の経済大国にしたのは残された彼らである。

1944年のレイテ沖海戦に参加した元海軍中尉の加藤昇氏=当時(97)=が令和2年に亡くなる前年の講演を聞いたことがある。終戦間際には一時、特攻出撃を待つ身となった加藤氏は『(特攻出撃を控え)隣のベッドで同期が童謡〈ふるさと〉を小さな声で歌っていたのが忘れられない』と振り返り、『出撃する同期から〈後を頼む〉といわれた。私が戦後生まれの皆さんにお願いしたいのは先祖を大事にし、日本を頼むということです』と参加者に語りかけていた。

軍人・兵士にとって、戦友との約束は死ぬまで忘れられないものだった。それが、日本復興の原動力になったのではあるまいか」(中略)。

我々の今日の平和は、こうした尊い犠牲の上に成り立っているにも関わらず、その事実ですら断罪し、そして、「あの戦争は悪いことだ」というレッテルを貼り、論点をそらそうとする議論が多い。確かに戦争は行ってはならないし、私も戦争反対である。しかし、あの時代、命を賭して戦った若者たちがいた事実をないがしろにして良いことではない。
平気で人を殺める犯罪が増えている昨今、また、罪を犯しているにも関わらず、平気で逃走する者がいる、そんな現代社会を憂う今日において、私は、他人を思う気持ちが足りなくなった人が多くなったように感じている。
しかし、あの大戦時、しかも必死の特攻作戦のため、生きたくても生きられなかった人たちがいた。公のために尽くし、家族のため、愛する恋人のために、戦ってくださったその先人たちの思いを感じなければならない。そして、私の中でその思いは、日増しに強くなっている。

私が産経新聞社勤務時代に手掛けた「大東亜戦争を語り継ぐ会」に登壇いただいた元軍人の方々は、皆、鬼籍に入られた。実際に先の大戦を戦った世代が消えつつあるということである。それは、彼らの戦友たちはもちろんのこと、周囲の人たち、戦没者の遺志を継ぎ、戦後を生き残り、復興を実現した人たちも消えつつあるということだ。

先人の思いを繋ぐこと。それは、先人から直に話を聞いた者たちの責務なのではないだろうか。「あとは頼む」と日本の将来を次代に託した先人の想い。そして、私自身、先人の話を直に聞いた者として、先人の想いを伝えていけるよう、来年も尽力したいと思っている。
来年は終戦80年。とても大事な年だと位置づけており、その年に相応しいイベントをまた企画してお届けしたいと思う。

今年も一年、私の拙い内容のブログをご覧いただきました皆様、誠にありがとうございます。心から感謝申し上げます。
ブログは本日で筆納めといたします。
来年も、己の心の思いのまま、綴って参りたいと思います。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
そして、皆様、良いお年をお迎えください。
2024.12.25 08:43 | 固定リンク | その他

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